第143回 ヨーロッパ音楽都市巡り パリ その12 フランスオペラの歴史3 ケルビーニ、スポンティーニ

第143回 ヨーロッパ音楽都市巡り パリ その12 フランスオペラの歴史3 ケルビーニ、スポンティーニ

2023年03月07日(火)3:36 PM

 リュリ、ラモーに続くフランスオペラの系譜は、ルイジ・ケルビーニ(1760-1842)、ガスパーレ・スポンティーニ(1774-1851)という2人のイタリア人によって引き継がれていきました。

 

 ケルビーニは、フィレンツェでイタリア人音楽家の家に生まれました。ボローニャ、ミラノで学んだのち、イタリア語のオペラを書いていましたが、あまり認められませんでした。1788年からパリに永住することになり、新しい形式によるフランス語のオペラを書くようになり「デモフォン」(1788)、「ロドイスカ」(1791)は評価され、1795年にはパリ音楽院の視学官となり、1797年には最高傑作の「メデア」を作曲します。ケルビーニのオペラはそれまであったような作品とは違い、豊かなオーケストレーション、力強い重唱、登場人物の印象付けなどが先進性に富んでいました。

ケルビーニの故郷フィレンツェのヴェッキオ橋



 その後ウィーンやロンドンでも活躍しますが、ベートーヴェンやハイドン、を始め多くと作曲家に大きな影響を与え、特にベートーヴェンの唯一のオペラ「フィデリオ」(1805)は、ケルビーニから多くの影響を受けていると言われています。しかし、オペラハウスで多くの成功を収めることができなかったため、宗教曲を書くようになり、特にルイ16世追悼のために書いた「レクイエム」(1816)は、傑作として名高く、ハンス・フォン・ビューロー(1830-1894)は、「モーツァルトのレクイエムよりも優れている」と評価しました。

 

 現代ではオペラ・コミックやグランド・オペラの創始者、ロマン派の先駆者と言われていますが、彼自身の作品は、1823年にジョアキーノ・ロッシーニ(1792-1868)と彼の華やかなオペラがパリに上陸すると、あっという間に時代遅れになってしまいました。

 

 また、現代最後の巨匠とも言われる指揮者のリッカルド・ムーティ(1941-)は、2004年に彼の名前を冠した若者のためのジュニア・オーケストラ、ケルビーニ管弦楽団を創設、今も音楽監督として若者の育成に努めています。

https://www.orchestracherubini.it/

 

 もう1人の重要人物は、ガスパーレ・スポンティーニ(1774-1851)です。彼は、イタリア中東部のアンコーナ地方に生まれましたが、18歳下のジョアキーノ・ロッシーニの故郷ペーザロとほぼ同郷です。

彼はナポリで音楽を学んだのち、チマローザ(1749-1801)の後継者としてナポリ宮廷歌劇場の指揮者となりますが、1803年にパリへ行き、フランス第一帝政の宮廷作曲家となります。

ナポレオン妃ジョセフィーヌの庇護のもと1807年に書いた「ヴェスタの巫女」はオペラ座で初演されて、大成功を収めました。

ナポレオン皇后ジョセフィーヌ妃



 ケルビーニ同様、現代でスポンティーニの作品が上演される機会はほとんどありませんが、このあとのグランド・オペラの橋渡しとしての役割は重要でした。

 

 

執筆:上月 光



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