第137回 ヨーロッパ音楽都市巡り パリ その6 オペラ=コミック劇場
さてガルニエ、バスティーユの次は、いよいよオペラ=コミックです。17世紀末頃のパリでは、オペラは、シャルル王朝の貴族のものでした。しかし、庶民にも広まり始め、18世紀の初めには、最初は仮設の仮設のテント小屋からスタートする形でオペラ=コミックという団体が出来ました。

現在オペラ=コミックの正面厳顔は狭い路地に面しています
1758年に台本作家のシャルル・シモン・ファヴァール(1710~1792)が支配人となって、1783年に現在の場所に建てられたのです。ここは現在、2区のファヴァール通り5番地にあり、ガルニエ宮から500mほどの至近な距離にあります。その当時から、ファヴァール劇場とも呼ばれています。
19世紀に入るとレチタティーヴォを伴う大規模でバレエのシーンが入るグランド・オペラはオペラ座、台詞入りで比較的軽めのテーマによるオペラ・ブッファをオペラ=コミックで上演するようになるのです。ウィーンのシュターツオパー、フォルクスオパーとの関係にも似てています。
その後大きな2度の火災、イタリア劇場等、他の劇場との合併などがありましたが、1939年に国立オペラ劇場連合の参加に入りますが、1982年に再びオペラ座と離れ、自主的な上演をすることになります。2005年には再び国立となりますが、オペラ座とは別に公演を行う劇場として、独立性を保っています。

こんな感じの路地を入っていきます
オペラ=コミック劇場では、数多くの傑作が初演されるという栄光の歴史に包まれていますが、一部を紹介しましょう。まず。1840年ガエターノ・ドニゼッティ(1797-1848)の傑作オペラ「連隊の娘」です。初演から1914年までの間までに上演回数が1,000回を超えるという空前のヒット作品となります。1846年にはエクトル・ベルリオーズ(1803-1869)の「ファウストの劫罰」が初演されます。
そして、1875年のジョルジュ・ビゼー(1838-1875)の「カルメン」です。このオペラはフランスオペラとしてというだけでなく、現在では、世界でもっとも上演回数の多いオペラとして知られています。このオペラの1875年3月3日初演では、オペラ=コミック様式とも呼ぶべき、音楽を台詞で繋ぐ方式で書かれていて、空前の大失敗となってしまうのです。音楽自体が新しすぎたとも言われていますが、ビゼーはちょうど3か月後の6月3日に失意の中で死んでしまいます。しかし、生前よりウィーンから依頼されていたレチタティーヴォ版を友人の作曲家エルネスト・ギロー(1837-1892)がレチタティーヴォ版を書き上げ、ウィーンで空前の大成功、そして世界中へ拡がって行きました。現在でも。ギローのレチタティーヴォ版で上演されることが一般的です。
そして、もう1つフランスオペラを代表する傑作ジャック・オッフェンバック(1819-1880)の「ホフマン物語」があります。本人が作曲の途中で亡くなってしまったため、未完だったこのオペラですが、前述のギローが補筆して完成させて、1881年オペラ=コミックで初演されるのです。この時代にギローがいなかったら「カルメン」と「ホフマン物語」はどうなっていたことでしょう。
さらに1883年にレオ・ドリーブ(1838-1891)の「ラクメ」1884年シュール・マスネ(1842-1912)の「マノン」、ク1900年ギュスターヴ・シャルパンティエ(1860-1956)の「ルイーズ」、1902年クロード・ドビュッシー(1862-1918)の「ペレアスとメリザンド」などもここで初演されました。
執筆:上月 光
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