第134回 ヨーロッパ音楽都市巡り パリ その3 オペラ座2
今回はガルニエ宮の作りについてです。まず外観の正面ですが、美術館のような見事な芸術の粋を集めたファザードが、観客を出迎えます。

正面
まず、近くから見上げる形では見えませんが、吹き抜けの上の頂点にエメ・ミレー(1819-1891)のブロンズの彫刻群があり、中央にはアポロ、左右にはペガサスの彫刻があります。

頂上にブロンズのアポロが少し見えます
そして、ファザードの上には、名古屋城の鯱のように金色に輝く2体の天使の黄金像、円柱の上方には、7人の偉大な音楽家たちの金メッキの青銅の胸像あります。正面から見て左から順にジョアキーノ・ロッシーニ(1792-1868)、フランソワ・オーベール(1782-1871)、ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770-1827)、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756-1791)、ガスパーレ・スポンティーニ(1774-1851)、ジャコモ・マイアベーア(1791-1864)、ジャック・アレヴィ(1799-1962)という面々です。さらには、入口の上方に4人のレリーフがあります。左からヨハン・セバスティアン・バッハ(1685-1750)、ジョヴァンニ・バッティスタ・ペルゴレージ(1710-1736)、フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(1732-1809)、ドメニコ・チマローザ(1749-1801)です。

モーツァルト
ガルニエ宮建設当時の1860年に、この11人のメンバーが選ばれたことには、多くのことが読み取れますので、思いつくまま列記してみます。あくまで私の個人的な主観も入っていますので、予めご了承下さい。

ハイドンとチマローザ
まず、フランスの劇場なのにフランス人の作曲家は少なく、オーベール、アレヴィの2人だけです。もちろんイタリアオペラ全盛時代が長かったこともあると思いますが、当時パリにはイタリアオペラ上演の劇場もあったので、この当時からフランスという国の多様性が読み取れます。
入口上方の4人はバロック、黄金の7人は古典派で、また、19世紀生まれの作曲家は1人もおらず、その当時全盛だった、ロマン派の作曲家は1人も入っていません。現在、ほとんど演奏されることがないオーベール、スポンティーニ、マイアベーア、アレヴィはグランド・オペラ全盛期の当時、大きな人気を博していたのでしょう。グランド・オペラについては別稿で書きます。

側面もこのように豪華です
一方、当時もパリで人気があったパリ音楽院の院長まで務めたグランド・オペラの代表的作曲家ルイジ・ペルゴレージ(1760-1842)やパリ・オペラ座でも数多くの初演を行ったクリストフ・グルック(1714-1784)が入っていないのは、なぜだろう?という疑問もわいてきます。
執筆:上月 光
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