第129回 ヨーロッパ音楽都市巡り プラハ その6 スメタナ
プラハ編が始まってから度々名前が出てきましたが、チェコ音楽にとって最も重要な音楽家、ベドルジハ・スメタナ(1824-1884)をご案内します。

プラハ城のスメタナ像
1824年、北ボヘミアのリトミシュルで中流階級の家に生まれたスメタナですが、当時のリトミシュルは、ハプスブルク帝国領で、ドイツ語が公用語でした。若い頃はコンサート・ピアニストになる一方、政治活動にも熱心で、革命運動に傾倒していました。しかし、少し先輩にあたるフランツ・リスト(1811-1886)やフレデリック・ショパン(1810-1849)のようにはいかず、1856年プラハに絶望してスウェーデンのイェーテボリに移りました。

スメタナ博物館入口
しかし、ハプスブルク帝国が弱体化してくると1861年再びプラハに戻り、音楽作品のためにチェコ語を文法から勉強し、1863年チェコへの愛国心が溢れた最初のオペラ「ボヘミアのブランデンブルク人」を書いて、1966年、大成功を収めました。しかし、残念ながら今日ではほとんど上演されることはありません。次に書いた2作目のオペラが「売られた花嫁」で、このオペラは言葉の壁をはねのけて、今日、世界中のオペラハウスで上演されています。

スメタナ博物館銅像
さらにはフランツ・ヨーゼフ1世の戴冠式のために1872年に書かれた第4作の「リブシェ」は、ボヘミア戴冠自体が流れてしまったため10年間温めて、1881年プラハ国民劇場のこけら落しで初演されました。そして、スメタナはチェコオペラという、まったく新しいジャンルそのものを作りあげたのです。
しかし、彼は1874年に完全に失聴、健康も崩す中、1879年にかけて傑作、交響詩「わが祖国」を書きました。この作品は、6つの交響詩からなる連作交響詩と呼ばれますが、第2作の「ヴルタヴァ」が何と言っても有名です。日本ではドイツ語の「モルダウ」という名前で小学校の音楽の教科書に載るほどで、子供知っている合唱曲として有名です。

ヴルタヴァ川
世界的に有名なプラハの春音楽祭は、毎年スメタナの命日である5月12日に「わが祖国」の演奏で幕を開け、チェコの作曲家の初演などが積極的に行われます。

スメタナ博物館に貼ってあったN響のポスター
スメタナの生きた時代は、ロマン派真っただ中ですが、彼の作品はロマン派ではなく、国民楽派と呼ばれます。国民楽派とは、ロマン派の中でも民族主義音楽を指しますが、当時の音楽先進国だったドイツ、イタリア、フランス以外の地域で、この3か国以外の民族主義的なテーマの作品がそのように呼ばれます。チェコのスメタナと並んで有名なのが、ロシアのミハイル・グリンカ(1804-1857)、ハンガリーのコダーイ、バルトーク、ノルウェーのグリーグ、フィンランドのシベリウスなどで、国民楽派と呼ばれています。
執筆:上月 光
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