第128回 ヨーロッパ音楽都市巡り プラハ その5 国立オペラ劇場と国民劇場
プラハのオペラハウスですが、前回のスタヴォフスケー劇場(エステート劇場)以外にも2つ重要なオペラハウスがあります。1つは国立オペラ劇場(Státní Opera Praha)、つまりドイツ語でいうところのStaats Operです。堂々たるネオルネッサンス様式によって、プラハ在住の中産階級のドイツ人たちによって作られた劇場で、1888年ワグナーの「ニュールンベルクのマイスタージンガー」で幕を開けました。

ヴルタヴァ川沿いに建つ国民劇場
1939年、第2次世界大戦中はナチスに占領されましたが、戦後、チェコスロヴァキアに戻されると、1949年にはスメタナ劇場と名前が変わり、1992年には現在の国立オペラ劇場となりました。現在プラハで1番大きなオペラハウスですが、グスタフ・マーラー、リヒャルト・シュトラウス、エーリヒ・クライバー、ジョージ・セルら世界的な巨匠たちが音楽監督を務めてきた栄光を誇ります。
1924年、シェーンベルクのモノオペラ(1人の歌手によるオペラ)「期待」が初演された劇場としても名前が残っています。2019年には改装工事も終了して、イタリアオペラ、ドイツオペラなどを中心に、世界の標準的なオペラハウスの1つとして、外国のスタンダードナンバーのオペラを中心に上演しています。
もう1つは、以前は国立劇場と呼ばれていた国民劇場(Národní divadlo)で、ドイツ語でいうところのNationaltheaterです。19世紀のプラハは、ハプスブルク家のオーストリア帝国に支配されていたため、チェコ語で上演できる劇場はありませんでした。しかし、民族運動の高まりとともに国中から寄付が集められ、19世紀半ばにはチェコ人のための劇場の建設が始まりました。そして1881年6月11日、母国の英雄スメタナ(1824-1884)がこけら落としとために書いた「リブシェ」で開場しました。2ヶ月後炎上してしまいましたが、再び寄付金によって、超特急で工事が進められ、わずか2年後の1883年に同じく「リブシェ」にて再開場しました。
ヴルタヴァ川沿いの素晴らしい場所に建てられたこの劇場は、スメタナの代表作「売られた花嫁」(1866)、ドヴォルザーク(1841-1904)の傑作「ルサルカ」(1901)、チェコ東部モラヴィア地方出身のヤナーチェク(1854-1928)の「プロウチェク氏の旅行」(1920)などが初演された歴史を誇り、今も自国の作曲家の作品を中心にオペラ、バレエ、演劇などが上演されています。
執筆:上月 光
« 第127回 ヨーロッパ音楽都市巡り プラハ その4 エステート劇場とモーツァルト | 第101回 ヨーロッパ音楽都市巡り 「ライプツィヒ」その8 メンデルスゾーン巡礼3 »