第127回 ヨーロッパ音楽都市巡り プラハ その4 エステート劇場とモーツァルト
今週は、オペラハウスのスタヴォフスケー劇場です。現在の名前はエステート劇場といいます。840席のとても小さい劇場ですが、外装も内装も美しく、1783年開場というプラハ最古の歴史を誇ります。

エステート劇場(スタヴォフスケー劇場)概観
この劇場は決してモーツァルトと切り離せません。モーツァルトの傑作「フィガロの結婚」は、1786年5月にウィーンのブルク劇場で初演されましたが、あまり成功しなかったのです。貴族を風刺した内容、不道徳な内容等が原因とされていますが、自信満々だったモーツァルトにとっては非常に残念な状況でした。しかし、その年の年末にプラハで初演されると空前の大好評を得て、次作の依頼も受けたのです。
そして書かれたのが「ドン・ジョヴァンニ」です。翌1787年10月にスタヴォフスケー劇場で初演されると熱狂的に受け入れられ、プラハとモーツァルトの関係は不滅のものとなりました。
さらにはモーツァルト最晩年の1791年。すでに身体を崩していたモーツァルトですが、レオポルト2世のプラハのボヘミア王の戴冠式のためにオペラの作曲を依頼され、最後の作品「レクイエム」の作曲を中断して、最後のオペラ「皇帝ティトの慈悲」を書くのです。そして9月6日にスタヴォフスケー劇場で初演されました。
それから、モーツァルトの交響曲第38番「プラハ」も忘れてはなりません。モーツァルト本人が名付けた名前ではありませんが、1786年の「フィガロの結婚」の成功を受けて、翌1787年1月19日にプラハでモーツァルト自身の指揮によって初演され、プラハという名前で後世に残る作品となりました。
今もプラハの人達はモーツァルトが大好きで、自分たちの先祖がモーツァルトの価値が分かって成功させたという自負を持っていますので、いつも街の至る所でモーツァルトの作品が演奏されています。
執筆:上月 光
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