第113回 ヨーロッパ音楽都市巡り バッハ巡礼その7 ケーテン

第113回 ヨーロッパ音楽都市巡り バッハ巡礼その7 ケーテン

2022年07月19日(火)11:00 AM

 1717年バッハは、音楽好きで名高いアンハルト=ケーテン侯国の若い領主レオポルトからケーテン宮廷楽長として招聘されましたが、ヴァイマール公は許さず、バッハは1ヶ月の禁固処分となりました。しかし、結局ヴァイマール候が折れて、バッハはケーテンへと旅立ちました。

 

ケーテン城内宮廷礼拝堂

 

アンハルト=ケーテン侯国はカルヴァン派だったため、教会音楽を禁止されていて、バッハは世俗的な曲を数多く作曲し、1721年のブランデンブルク協奏曲を始め、ケーテン時代に室内楽や独奏曲等の傑作が生まれています。

 

ケーテン城内鏡の間

 

 また、1720年にバッハの出張中、五男二女を産んだ妻のマリア・バルバラが急死してしまいますが、翌1721年には宮廷ソプラノ歌手のアンナ・マグダレーナ・ヴィルケと再婚し、実に六男七女を作ることになります。

 

 

ケーテン城入口

 

 このようにケーテンでは、比較的幸せな日々が続いていましたが、バッハの再婚から8日後にレオポルト候が結婚したフレデリカ公女が音楽嫌いだったため、レオポルト候の音楽への情熱も冷めていってしまい、ケーテンの宮廷音楽も衰退してしまいます。

 

執筆:上月 光



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