第112回 ヨーロッパ音楽都市巡り バッハ巡礼その6 ヴァイマール2
2022年07月12日(火)11:30 AM
さてバッハのヴァイマール編です。1708年にヴァイマールの宮廷オルガニストになったバッハはここで多くのオルガン曲の名作を書きました。

デモクラシー広場のバッハ像 1704年から1717年までヴァイマールにいたと書いてあります。
しかし、待遇に満足していなかったバッハは、ヘンデルの故郷ハレの聖母教会のオルガン奏者の席が空くのを知るとすぐに応募し合格しましたが、ヴァイマール公が大幅な昇給と昇進を確約して、ヴァイマールに留まることとなります。

ハレのマルクト教会
さらに1714年からは楽師長へ昇進し、毎月1曲の教会カンタータの作曲と上演が義務付けられました。
また有名な逸話は、1717年ドレスデン宮廷楽団(シュターツカペレ・ドレスデン)の高名なヴァイオリニストで、コンサートマスターのジャン・バティスト・ヴォリュミエ(1677-1728)から、フランスの有名なオルガニスト、ルイ・マルシャン(1669-1732)とのオルガンの即興演奏対決を持ち掛けられます。しかし、バッハの名人芸を知ったマルシャンは逃げ帰ってしまったというものです。本当の話かどうかは分かりませんが、いずれにしても、この頃のバッハはかなり有名な音楽家になっていたようです。

マルクト広場のバッハ住居跡のプレート 息子のフリーデマンとフィリップ・エマニュエルが産まれたとあります
執筆:上月 光