第109回 ヨーロッパ音楽都市巡り バッハ巡礼その3 オールドルフ~リューネブルク

第109回 ヨーロッパ音楽都市巡り バッハ巡礼その3 オールドルフ~リューネブルク

2022年06月21日(火)11:30 AM

 10歳の若さで相次いで両親を亡くした大バッハは、長兄ヨハン・クリストフ・バッハ(1671-1772)がミヒャエル教会オルガニストを務めるアイゼナッハから30㎞ほど東のオールドルフへ移ります。

ミヒャエル教会



 ヨハン・クリストフは、エアフルトで著名な作曲家、オルガン奏者で「カノン」で有名なヨハン・パッヘルベル(1653-1706)に師事した優秀な音楽家で、大バッハは彼から鍵盤楽器演奏の基礎を学びました。

 

https://www.youtube.com/watch?v=MOBYK_reo-4

かの有名なパッヘルベルのカノン

 

長兄ヨハン・クリストフの住んだ家にあるレリーフ バッハが5年間住んだと書いてあります。



 ヨハン・クリストフはパッヘルベルを始め巨匠たちの曲集の譜面を所蔵していたら、弟が幾ら頼んでも見せてくれず、兄が寝静まるのを待ってから、半年かけて月の光でこっそりと写譜したという逸話が残っています。しかし、完成後兄に知られ、取り上げられてしまったそうです。

ミヒャエル教会



 大バッハは10歳から5年間オールドルフに住みましたが、1700年3月に北ドイツハンザ都市のリューネブルクへ向かいました。聖ミヒャエル教会の付属学校の給費生となります。リューネブルクでは、聖ヨハネ教会のオルガニスト、ゲオルク・ベーム(1661-1733)に師事し、50㎞北の大都市ハンブルクでは、聖カタリナ教会のオルガン奏者の巨匠ヨハン・アダム・ラインケン(1643-1722)にも大きな影響を受けました。
 リューネブルクを出た日付ははっきりしませんが、1702年ころ中部ドイツに戻ったと思われます。

ミヒャエル教会前のオブジェ バッハは小川ではなく大海である と書いてあります


ドイツ語でBachというのは小川という意味がありますが、小川なんてとんでもない、大海である。とこの言葉を言ったのは、ベートーヴェンです。

Nicht Bach, sondern Meer sollte er heißen

 

執筆:上月 光



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