第104回 ヨーロッパ音楽都市巡り 「ライプツィヒ」その11 メンデルスゾーン巡礼6
1847年、メンデルスゾーンの急死はドイツ、イギリスはもちろんのこと、世界中の王室から一般民衆まで深い哀悼が示され、各地で作品が演奏されました。

メンデルスゾーンハウスの肖像画
しかし、1850年ワーグナーが書いた「音楽におけるユダヤ性」で同時代のマイアベーア(1791-1864)など一緒にメンデルスゾーンもユダヤ人音楽家として、激しく弾劾、中傷されました。また、バッハやモーツァルトを崇拝し、古典派の音楽を音楽を好んだメンデルスゾーンは、ロマン派でありながら美しいハーモニーや音楽を好み、民族音楽や世俗的な音楽を嫌悪していました。

トーマス教会脇にあるメンデルスゾーンが建てたバッハ像
ワーグナーは、メンデルスゾーンの音楽がうわっぺらだけで浅く、深い精神性は感じられないと言い、またベルリオーズやリストなど先進的なロマン派の作曲家とも人間関係が上手く行っていませんでした。そしてワーグナーを愛したヒトラーのナチスによって、ユダヤ人作曲家の代表とように退廃音楽と嫌われ、メンデルスゾーンの作品の上演は禁止されました。1936年にはゲヴァントハウス前にあったメンデルスゾーンの記念碑がナチ党員のライプツィヒ副市長によって破壊されたほどです。

メンデルスゾーンが書いたアマルフィ風景 1836年作
しかし、戦後1947年にメンデルスゾーン没後100周年に音楽祭が開かれてから再評価されるようになり、今では演奏会のプログラムから決して外すことのできない重要な作曲家として多くの人達に愛されています。

メンデルスゾーンが書いたフィレンツェ風景 1830年作
数々の作品を紹介してきましたが、最後にもう1曲紹介させて頂きます。1840年に初演された交響曲第2番「讃歌」です。メンデルスゾーンは生涯で5つの交響曲を書きましたが、4番目に書いた交響曲です。出版の順番で2番と呼ばれています。

メンデルスゾーンが書いたルツェルン風景 1947年作
独唱や合唱を伴う交響曲としては、ベートーヴェンが1824年に初演した交響曲第9番(第九)が有名ですが、この「讃歌」も大きなスケールを持った名曲です。ワグナーやナチスによってほぼ消えていた作品ですが、今では再評価され、世界中で演奏されています。1部はオーケストラだけの「シンフォニア」、2部が合唱と独唱が加わる「カンタータ」という2部構成からなります。
合唱の愛好家にとっては決して見逃すことの出来ない作品ですので、ぜひ機会があれば歌って下さい。
https://www.youtube.com/watch?v=kAGjGtCz-zk
クルト・マズア指揮 ゲヴァントハウス管弦楽団
執筆:上月 光