第103回 ヨーロッパ音楽都市巡り 「ライプツィヒ」その10 メンデルスゾーン巡礼5

第103回 ヨーロッパ音楽都市巡り 「ライプツィヒ」その10 メンデルスゾーン巡礼5

2022年05月10日(火)11:00 AM

 過労による体の不調を感じながらも、イングランドへ演奏旅行を行い、テムズ川で眩暈を起こして倒れました。さらにイギリスから帰国直後の1847年5月14日、最愛の姉、ファニーが急死してしまうのです。彼女は4歳年長ですので、まだ42歳の若さでした。

 

メンデルスゾーンハウスのレリーフ

 

 同時代のシューマンの妻クララ・シューマンほど知られていませんが、ファニー・メンデルスゾーンは素晴らしいピアニストで、数多くの作品も作曲しました。そして弟のメンデルスゾーンとは一卵性双生児と言われるほど子供の頃から仲が良く、お互いに大切な存在でした。しかし、その当時女性が作曲家として活躍をすることは許されず、ましてや上流階級の家に生まれた彼女がそのような職業に就くことはありえないことでした。

 

ファニーの急死の一報を聞いたメンデルスゾーンは激しく動揺して、脳卒中を起こして倒れてしまいました。ファニーの死因も同じ脳卒中でした。2人の祖父も脳卒中で亡くなりましたので、遺伝性の原因が関係しているのではと言われています。

 

死去する1年前の1846年に書かれたファニーの「アンダンテ・カンタービレ」

https://www.youtube.com/watch?v=nCXaLLCco14

 

メンデルスゾーンハウスはメンデルスゾーン最期の家です



 1846年のイングランド旅行の話に戻りますが、この旅行の目的の1つがバーミンガム音楽祭でオラトリオ「エリア」を初演することでした。このオラトリオは、日本ではあまり知られていませんが、ヘンデルの「メサイア」、ハイドンの「天地創造」とも並び称される傑作です。

 

ブロムシュテット指揮 ゲヴァントハウス管弦楽団の「エリア」

https://www.youtube.com/watch?v=-Q4UZgS8E8s

 

 もう1曲、メンデルスゾーンがライプツィヒに来た翌年、1836年にデュッセルドルフのライン音楽祭で初演されたオラトリオ「聖パウロ」も傑作で、この作品によって大作曲家としての名声を不動のものとしました。

ゲヴァントハウスの模型



 ファニーが亡くなって躁鬱状態が繰り返されるようになりましたが、半年足らずの11月4日、疲れたよ、ひどく疲れた。(Ich bin müde, schrecklich müde.)という最期の言葉を残して38年の忙しくも短い生涯を閉じました。

 

執筆:上月 光



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