第102回 ヨーロッパ音楽都市巡り 「ライプツィヒ」その9 メンデルスゾーン巡礼4

第102回 ヨーロッパ音楽都市巡り 「ライプツィヒ」その9 メンデルスゾーン巡礼4

2022年04月26日(火)11:00 AM

 1835年にライプツィヒに呼ばれてゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者、そして作曲家、演奏家として八面六臂の活躍をしていたメンデルスゾーンですが、多忙を極めていました。しかし、彼の快進撃は続き、1829年にベルリンで歴史的再演をしたマタイ受難曲を1841年ついに初演の地トーマス教会で再上演を果たします。


メンデルスゾーンハウスの中庭 ここでコンサートも行われます。



 1841年10月にはドレスデンのザクセン王からザクセン王室のカペルマイスターに任命され、さらにプロイセン王からベルリンのプロイセン音楽監督に任命され、再びベルリンに戻りますが、ライプツィヒとの往復を重ね、1843年にはドイツで初めての音楽学校、ライプツィヒ音楽院を設立し、初代院長に就任します。そしてシューマンたちが教授になりました。同年にはライプツィヒ市の名誉市民となり、メンデルスゾーンの寄付によってバッハ記念館が開館しました。

ライプツィヒ音楽院



 プロイセン王とは上手くいかなくなったため、ベルリンのすべての職を辞任して、スイスで1年間静養します。そして、そこで傑作のヴァイオリン協奏曲を作曲するのです。この曲は誰もが知る名曲ですが、ベートーヴェン、ブラームスのものと並んで、世界3大ヴァイオリン協奏曲とも呼ばれています。

トーマス教会のステンドグラスのメンデルスゾーン



初演は1844年ゲヴァントハウスですが、ソリストを務めたのが、名ヴァイオリニストのフェルディナンド・ダヴィッド(1810-1873)です。ダヴィッドは、何とメンデルスゾーンが生まれた同じハンブルグのアパートで生まれ、幼少時代から家族ぐるみの友人でした。そして、ライプツィヒ音楽院のヴァイオリン科の教授も務めました。

 

マズア指揮 ゲヴァントハウス管弦楽団のヴァイオリン協奏曲 

https://www.youtube.com/watch?v=1sPbaRutYhQ

 

 

執筆:上月 光



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