第101回 ヨーロッパ音楽都市巡り 「ライプツィヒ」その8 メンデルスゾーン巡礼3
さていよいよライプツィヒ編です。デュッセルドルフ音楽監督時代もミュンヘンのオペラハウスの音楽監督等の重職を断り、1835年秋、弱冠26歳の若さでゲヴァントハウス管弦楽団の5代目の指揮者に就任します。

メンデルスゾーンハウスの肖像画
約100年前の1743年に世界最古の市民階級のオーケストラとなったゲヴァントハウス管弦楽団ですが、メンデルスゾーンは様々な歴史的な改革を行います。そしてこの任期(1835-1843)の8年間にヨーロッパ有数のオーケストラへと飛躍します。

ゲヴァントハウス
まず、楽団員に精鋭を集めて50人に増やし、給与を上げ、年金制度等の社会保障も充実させて、音楽家たちの地位の向上をしました。さらに年間20回の定期演奏会を行い、当時埋もれていた作品を発掘して上演しました。このようにメンデルスゾーンは優秀な音楽家としてだけでなく、組織の運営にも卓越した手腕を発揮したのです。

メンデルスゾーンハウス内のピアノ
さらに当時のオーケストラの演奏会は、コンサートマスターがヴァイオリンを弾きながら要所できっかけを合図する程度でしたが、正式にオーケストラ全体を統率する指揮者を置き、同時に正式にコンサートマスターも決めたのです。また当時、ウェーバーやシュポアが使い始めたという指揮棒を正式に採用したのがメンデルスゾーンです。
このようにメンデルスゾーンは、オーケストラを組織し、演奏曲目をプログラミングし、自ら練習を指揮し、本番でも指揮を振り、ピアニストとしてコンチェルトも弾き、オルガニストとしてもヴァイオリニストとして活躍し、室内楽ではヴィオラも演奏し、さらには自分で作曲した曲を新曲として演奏するという、考えられないほどの才能を発揮しました。

ゲヴァントハウス模型
また当時の演奏会は、同時代の作品を演奏するのが当たり前でしたが、過去の名曲を探し出して演奏会に取り上げました。特にバッハ、ヘンデル、ハイドン、モーツァルト、グルックなどが演奏されました。そして自身の新作、シューマンの新作なども次々に発表していきます。簡単に言うと、現代の演奏会のスタイル、オーケストラの基礎を作ったのがメンデルスゾーンということなのです。
1838年には、盟友のシューマンが、故シューベルト邸で埋もれていた交響曲第8番「ザ・グレート」の自筆譜を発見し、メンデルスゾーンの指揮でゲヴァントハウス管弦楽団によって初演されました。
ゲヴァントハウス管弦楽団の「ザ・グレート」 以前は交響曲第9番と言われていました。
https://www.youtube.com/watch?v=YayW01BOKg8
1840年にはゲヴァントハウス管弦楽団が正式にライプツィヒ市の管轄のオーケストラとなり、これによって、トーマス教会やライプツィヒ歌劇場でもゲヴァントハウス管弦楽団が演奏をする伝統が現代まで残っているのです。
執筆:上月 光