第97回 ヨーロッパ音楽都市巡り 「ライプツィヒ」その4 ライプツィヒ歌劇場

第97回 ヨーロッパ音楽都市巡り 「ライプツィヒ」その4 ライプツィヒ歌劇場

2022年03月22日(火)11:00 AM

 ライプツィヒもドレスデンもヨーロッパを代表する素晴らしい歴史を誇る音楽都市ですが、その成り立ちや歴史はずいぶん違い、現代の街並みを見てもその違いは一目瞭然です。ドレスデンは今も王宮を中心に宮廷の街として重厚な街並みですが、ライプツィヒは商業の街として、広場を中心に明るい雰囲気です。

街の中心マルクト広場の旧市庁舎


 ドレスデンがザクセン選帝侯の城下町として栄えたのに対して、ライプツィヒは商業と大学の街として栄えたため、音楽都市としての性格もかなり違います。ドレスデンのオペラハウスは、宮廷歌劇場だったゼンパー・オパーで、オーケストラは、宮廷歌劇場の宮廷楽団だったシュターツカペレ・ドレスデンですが、ライプツィヒのオペラハウスは、ヨーロッパ最古に近い歴史を持つ市民歌劇場で、オーケストラは、世界最古の市民オーケストラであるゲヴァントハウス管弦楽団なのです。

ライプツィヒ歌劇場正面


 さて今週はこの市民歌劇場であるライプツィヒ歌劇場をご案内します。1637年設立のヴェネツィアのサン・カッシアーノ劇場、1678年設立のハンブルク歌劇場に次いで、ライプツィヒ歌劇場は3番目に古い歴史を持ちます。1693年、ブリュール通りにライプツィヒ歌劇場の前身のオペラハウスが、シュトルンクの「アルチェステ」でこけら落とし公演が行われました。

NYのMETのように正面に噴水があります



 ヨハン・セバスティアン・バッハ(1685-1750)、ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル(1685-1759)よりも4歳年長で、バロック音楽の巨匠ゲオルク・フィリップ・テレマン(1681-1767)は、1702年から3年間ライプツィヒに滞在し、ライプツィヒ歌劇場のために数多くのオペラを作曲しました。

ホワイエ



 今でもドイツでは頻繁に上演されるアルベルト・ロルツィング(1801-1851)のコミック・オペラ「ロシア皇帝と船大工」は1837年にライプツィヒ歌劇場で初演されました。ロベルト・シューマン(1810-1856)の唯一完成したオペラ「ゲノフェーファ」は1850年にシューマン自身の指揮によって初演されました。そして、1867年、現在の場所アウグストゥス広場に新しい歌劇場が建てられました。グスタフ・マーラー(1860-1911)は、1886年から1888年まで、このオペラハウスの音楽監督として指揮者を務めました。

アウグストゥス広場と歌劇場



 20世紀に入ると前衛的な作品、演出を発表する劇場となり、1922年、クルシェネク(1900-1991)の「ジョニーは演奏する」、1930年、クルト・ヴァイル(1900-1950)の「マホゴニー市の興亡」などが初演されました。

 第2次世界大戦中の1943年12月、連合軍の大空襲によって壊滅的な被害を受けましたが、東ドイツの威信をかけて急ピッチで再建され、1960年ドイツ最大のオペラハウスとしてリヒャルト・ワーグナー(1813-1883)の「ニュルンベルクのマイスタージンガー」で再開場しました。

 

執筆:上月 光



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