第94回 ヨーロッパ音楽都市巡り 「ライプツィヒ」その1 音楽の街
先週までドレスデンでしたが、今週から同じザクセン王国の都市で、今も同じザクセン州のライプツィヒに行きましょう!ドレスデンから西北西に120㎞ほど行ったところにライプツィヒの街はあります。

マルクト広場と旧市庁舎
中世には、マルティン・ルター(1483-1446)の宗教改革で有名なライプツィヒ討論の街としても有名ですが、文豪のゲーテ(1749-1832)はライプツィヒ大学で学び、ベートーヴェンの第九の「歓喜の歌」で有名なシラー(1759-1805)もライプツィヒで活躍しました。哲学者のフリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)もライプツィヒ大学ですが、森鷗外が留学したのもライプツィヒ大学です。

旧市庁舎裏のゲーテ像
しかし、何といってもライプツィヒは音楽の街なのです。ヨハン・セバスティアン・バッハ(1685-1750)は、死去するまでの27年に渡り、ライプツィヒでトーマス教会の音楽監督(トーマスカントール)を務めました。同時代のゲオルク・フィリップ・テレマン(1681-1767)、バッハの息子、カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ(1714-1788)もライプツィヒ大学で学びました。さらにはフェリックス・メンデルスゾーン(1809-1847)やロベルト・シューマン(1810-1856)は、長い間ライプツィヒで活躍し、リヒャルト・ワーグナー(1813-1883)やクララ・シューマン(1819-1896)はライプツィヒで生まれました。1743年には世界で初めて市民階級によるオーケストラ、ゲヴァントハウス管弦楽団ができました。つまり、ライプツィヒは、300年以上前からウィーンやパリと並んで、ヨーロッパ音楽の中心地だったのです。

新市庁舎
この偉大な音楽家たちに関しては、1人ずつゆっくりとお話しして行きたいと思いますが、バッハに関しては、ライプツィヒが終わってからゆっくりと巡礼の旅をしたいと思います。
街の中心はマルクト広場と旧市庁舎、旧市庁舎の裏にはゲーテの銅像もあります。さらにはニコライ教会やトーマス教会も見逃せません。まずは来週は、教会のお話しから。
執筆:上月 光