第92回 ヨーロッパ音楽都市巡り 「ドレスデン」その5 ワーグナー
先週のウェーバーに引き続き、ドイツのオペラ史上、もっとも偉大な作曲家、リヒャルト・ワーグナー(1813-1883)をご案内いたします。

ドレスデンのワーグナー博物館
ワーグナーが生まれたのは、ドレスデンと同じザクセン王国で、もう1つの大都市、ライプツィヒです。ライプツィヒはこの音楽都市巡りでも、ドレスデンの次に書こうと思っていますので、どうぞお楽しみに。ワーグナーについては、今回は、ドレスデン時代に限定してご案内いたします。
20代後半の日々をパリで過ごしたワーグナーですが、成功を収めることは出来ませんでした。そんな中1840年に書き上げたオペラが「リエンツィ」(正式には、リエンツィ、最後の護民官)です。パリでの初演は叶いませんでしたが、1941年に出来たばかりのドレスデンのゼンパー・オパーで、1842年10月20日に初演が行われました。当時革命の機運が高まっていたこともあって、熱狂的な大成功を収め、オペラ作曲家として認められるようになったのです。

ワーグナー博物館に展示されている初演当時のポスター 右から「リエンツィ」「さまよえるオランダ人」「タンホイザー」
初演版は全5幕で4時間半もかかることもあって、現代では他のワーグナーのメジャーな作品に比べて上演回数は限られていますが、序曲は度々単独で演奏される有名な曲です。私事ですが、私が高校1年生の夏、吹奏楽部が夏の吹奏楽コンクールに出るにあたって、パーカッションのメンバーが足りなかったため、助っ人として駆り出された私が、シンバルを叩いた時の曲が、この「リエンツィ」序曲でした(笑)。

ワーグナー博物館のレリーフ 1846年の夏に「ローエングリン」を作曲したと書いてあります
さてワーグナーですが、「リエンツィ」の大成功から2か月後の1843年1月2日、ゼンパー・オパーで、次のオペラ「さまよえるオランダ人」の初演を自身の指揮で行いますが、今度は成功とはほど遠く、4回で打ち切られてしまいます。しかし、ワーグナー自身は、翌2月にドレスデン国立歌劇場管弦楽団(シュターツカペレ・ドレスデン)の指揮者に任命され、1748年までドレスデンで活躍することになります。
次の作品「タンホイザー」は、1845年10月19日に自身の指揮で初演されましたが、成功とはほど遠い状況で、8日間で公演が打ち切られてしまいました。しかし、ドイツ各地の歌劇場での公演で成功を収め、世界中で上演されるようになり、今ではワーグナーの代表作の1つとなっています。序曲や合唱曲、アリアなど数多くの有名な曲もあります。

ワーグナー博物館入口
その後、宮廷側と上手くいかなくなったワーグナーは、「タンホイザー」から3年後の1848年にシュターツカペレの指揮者を辞任してしまいます。そしてちょうどその時期、1848年革命と言われるヨーロッパ各地で起こった民衆によるの革命は、ドイツ各地にも拡がっていきました。ドレスデンでは、1849年5月3日に革命軍が立ち上がりましたが、すぐに鎮圧され、失敗に終ってしまいます。これはドレスデン5月蜂起と言われています。ワーグナーは、革命軍の中心人物として活躍しますが、革命に失敗してしまい、指名手配になってしまったため、フランツ・リストを頼ってスイスのチューリヒへ亡命するのです。そして9年間の亡命中にも数多くの名作を書きました。
執筆:上月 光