第91回 ヨーロッパ音楽都市巡り 「ドレスデン」その4 ウェーバー
今週から3回に渡って、ゼンパー・オパー、そしてドレスデンと非常に繫がりの深い3人の作曲家を紹介してきます。 まず1回目は、カール・マリア・フォン・ウェーバー(1786-1826)です。

レジデンツからゼンパー・オパーを望む
ウェーバーは、1786年11月18日、ドイツ最北部のシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州のリューベック近郊のオイティンという町で生まれました。旅回り劇団を主宰していた父フランツに連れられて、幼い時からドイツ、オーストリア各地を廻っていました。そして、旅先で音楽教育を受けていきました。
ウェーバーの父の兄フリードリンの娘のコンスタンツェは、モーツァルトと結婚をしたコンスタンツェ・ウェーバー(1762-1842)その人なのです。要するにウェーバーとコンスタンツェは、従姉の関係で、コンスタンツェが23歳年上になります。モーツァルトは、ウェーバーが5歳の時に死んでしまいましたが、ウェーバーの父は、親戚であるモーツァルトのような神童になることを夢見て旅に出て、英才的な音楽教育を受けていたのです。
モーツァルトのような天才的な逸話はありませんが、18歳でポーランドのヴロツワフ(ドイツ語でブレスラウ)のカペルマスター、27歳でプラハ歌劇場の芸術監督を経て、1817年、31歳の時にザクセン王国の宮廷楽長に任命され、ドレスデンにやって来ました。当時のヨーロッパはどこの国でもオペラは、イタリア・オペラというのが常識でしたが、ウェーバーは自身の作品を中心にドイツ・オペラで挑戦したのです。

ゼンパー・オパーのウェーバー像
そして1821年にベルリンで初演されたのがドイツ・オペラの金字塔「魔弾の射手」なのです。今もこの作品がドイツ・ロマン派の夜明けと言われています。ワーグナーもベルリオーズも「魔弾の射手」を見て作曲家を目指しました。後世のドイツの作曲家でこの作品の影響を受けていない人はいないほどです。今もドイツ語圏のオペラハウスでこの曲がレパートリーにない劇場はないでしょう。
「序曲」や勇壮な男声合唱の「狩人の歌」は、演奏会でも度々単独で演奏される名曲です。
https://www.youtube.com/watch?v=wNVgWSU-dqc
執筆:上月 光