第85回 ヨーロッパ音楽都市巡り 「ミュンヘン」その3 ナティオナル劇場
先週、キュヴィリエ劇場をご案内しましたが、ミュンヘンのメインの劇場は、バイエルン国立歌劇場のナティオナル劇場(National Theater)です。

ナティオナル劇場正面
バイエルン国立歌劇場(Bayerische Staatsoper)は、この2,123席のナティオナル劇場と463席のキュヴィリエ劇場で公演が行われますが、バイエルン選帝侯の宮廷歌劇場が起源となっています。ナティオナル劇場は、1818年に開場しましたが、1823年に焼失してしまいました。2年後の1825年に現在の劇場の形となって再建されましたが、1943年に第2次世界大戦の空爆で破壊されてしまいました。そして、1963年に再開場されて、現在はドイツを代表するオペラハウスとして君臨しています。

ナティオナル劇場客席
バイエルン国立歌劇場にとって、3人の特別な作曲家がいますが、現在でもこの3人の作品が常にプログラムの中心となって、年間スケジュールが組まれているのです。
1人目はヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756-1791)。先週も触れましたが、1781年にキュヴィリエ劇場で24歳のモーツァルトの「クレタの王イドメネオ」が初演された。
フィガロの結婚
そしてリヒャルト・ワーグナー(1813-1883)。バイエルン王ルードヴィヒ2世(1845-1886)が1864年に即位して最初にやったことは、亡命中のワーグナーをバイエルン国に呼び寄せ、彼の莫大な借金を返済したことでした。そして、その後も彼の最大のパトロンとなり、ナティオナル劇場で1865年に「トリスタンとイゾルデ」、1868年に「ニュルンベルクのマイスタージンガー」が初演されました。さらには「ニーベルングの指環」の序夜「ラインの黄金」が1869年に、第1日「ワルキューレ」が1870年にこの劇場で初演されたのです。
3人目はリヒャルト・シュトラウス(1864-1949)です。彼は地元のミュンヘンの生まれで、バイエルン宮廷歌劇場の首席ホルン奏者のフランツ・シュトラウスの子供として生まれ、ミュンヘンの音楽学校で学びましたが、この学校は今はリヒャルト・シュトラウス音楽学校と呼ばれています。1894年から1896年まで歌劇場の音楽総監督を務めただけでなく、1942年には、最後のオペラ「カプリッチョ」を初演しました。
音楽総監督は、21年間にも渡ってヴォルフガング・サヴァリッシュ(1923-2013)が務めたあとも、ズビン・メータ(1936-)ら巨匠が務めています。現在は、ベルリン・フィルの芸術監督になったキリル・ペトレンコ(1972-)の後を継いだ同じロシア人のウラディーミル・ユーロフスキ(1972-)が務めています。
ナティオナル劇場は、毎年9月から翌年7月31日までがシーズンですが、特に6月下旬から7月31日までをミュンヘン・オペラ・フェスティヴァルと名付けて、豪華絢爛な舞台で、スター歌手や指揮者たちが連日連夜登場します。
執筆:上月 光
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