第78回 ヨーロッパ音楽都市巡り ヘンデル巡礼その1 ハレ
メサイアinダブリン2022の告知に合わせて、ヘンデルの生涯を辿ってみます。
ヘンデルと聞いて何を思い出しますか? おそらく小学校や中学校の音楽室で立派なカツラを被った肖像画のおじさん、という方が多いのではないでしょうか。

ヘンデル博物館のヘンデル肖像画
ヘンデル(1685-1759)が生まれたのは1685年2月23日です。日本では徳川5代将軍綱吉の生類憐み令が発令された年です。場所はドイツ中東部の街ハレ(Halle)です。ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルは、のちにイギリスに帰化したため、英語名でジョージ・フレデリック・ハンドルとなりました。今でもイギリスやアメリカ等の英語圏や多くの国ではハンドルと呼ばれていますが、日本の西洋音楽はドイツから教育を受けたこともあって、ヘンデルと呼ばれることが一般的です。
さて、地図を見て下さい。ライプツィヒから北西に30㎞ほどの距離にあります。

ドイツ時図
ライプツィヒといえば、ワーグナー(1813-1883)やクララ・シューマン(1819-1896)が生まれ、メンデルスゾーン(1809-1847)、ロベルト・シューマン(1810-1856)が活躍した18世紀、19世紀のまさに世界の音楽の中心地でした。そして忘れてならないのが、「音楽の父」ヨハン・セバスティアン・バッハ(1685-1750)です。バッハは1723年から死ぬまで聖トーマス教会のカントール(音楽監督)を務め、作曲家としても数多くの傑作を残しました。

ライプツィヒのシンボルトーマス教会
さて、バッハの生まれた年に注目して欲しいのですが、ヘンデルと同じ1685年なのです。バッハは3月31日なので、1ヶ月ヘンデルの方がお兄さんです。バロックの2大巨匠ともいうべき2人が1ヶ月違いで生まれたとは、何とも不思議な感じがします。バッハが生まれたのはアイゼナッハという街ですが、ハレとは直線距離で130㎞しか離れていません。しかし、ヘンデルがロンドンに移住してしまったこともあって、生涯2人が出会うことはありませんでした。

アイゼナッハのバッハ像
さらには、イタリアの鍵盤音楽の巨匠ドメニコ・スカルラッティ(1685-1857)も同年生まれですが、スカルラッティとヘンデルは、ローマでどちらが上手いかハープシコードとオルガンで対決したという伝説が残っています。
執筆:上月光