第72回ヨーロッパ音楽都市巡り ベルリン3(ベルリン国立歌劇場)

第72回ヨーロッパ音楽都市巡り ベルリン3(ベルリン国立歌劇場)

2021年09月21日(火)11:30 AM

 文化都市ベルリンは、3つのオペラハウスを持っていますが、これは世界でも類をみないことです。まずはもっとも歴史の古いベルリン国立歌劇場から参りましょう。

 

国立歌劇場正面

 

 ドイツ語ではStaatsoper Unter den Linden。ただシュターツオパーと言いながら、実際にはベルリン州が運営しています。ウンター・デン・リンデンはベルリンで1番有名な通りの名前ですが、現地の人達は親しみを込めてリンデン・オパーと呼んでいます。

 

国立歌劇場客席

 

 フリードリヒ2世(1712-1786)は、偉大な啓蒙専制君主で、フリードリヒ大王とも呼ばれましたが、自身が優秀な音楽家で、フルート奏者でもありました。1740年にプロイセン国王に就任すると、すぐにオペラハウスの建設を始めました。そして作曲家のカール・ハインリヒ・クラウン(1704-1759)を宮廷楽長に任命し、彼の作品「クレオパトラとシーザー」で1742年12月7日に開場したのが、国立歌劇場の前身の宮廷歌劇場です。

 

天井のシャンデリア

 

1842年に火災で焼失しますが、すぐに再建され、1849年には当時同劇場の音楽総監督だったオットー・ニコライ(1810-1849)の代表作「ウィンザーの陽気な女房たち」が初演され、1914年にはアルバン・ベルク(1885-1935)の最高傑作「ヴォツェック」も初演されました。

 

 19世紀後半には、フェリックス・ワインガルトナー(1863-1942)、リヒャルト・シュトラウス(1864-1949)らが指揮台に上がり、さらにはエーリヒ・クライバー(1890-1956)、クレメンス・クラウス(1893-1954)、ヘルベルト・フォン・カラヤン(1908-1989)ら偉大な巨匠たちが音楽総監督を務めました。

 
 第2次世界大戦では完全に破壊され、戦後は東ドイツ側の劇場となりますが、1955年に現在の場所に再建されて、カール・マリア・フォン・ウェーバー(1786-1826)の「オイリアンテ」で開場しました。その後もフランツ・コンヴィチュニー(1901-1962)、オトマール・スウィトナー(1922-2010)らが東ドイツの威信を賭けて音楽のレヴェルを保ってきました。壁の崩壊後の1992年からはダニエル・バレンボイム(1942-)が音楽総監督となり、29年間の長期政権となっています。


 オケピットに入っているのは国立歌劇場管弦楽団とは言わず、シュターツカペレ・ベルリンと呼ばれます。1570年設立のプロイセン王立宮廷楽団が、1742年のベルリン宮廷歌劇場の開場と共に同劇場の座付きオーケストラとなりました。しかし、オペラ以外の演奏会活動も盛んで、録音や演奏会を頻繁に行っています。この音楽監督(シュターツカペレマイスター)も国立歌劇場と同じバレンボイムが務めています。ウィーン国立歌劇場とウィーンフィル、ドレスデン国立歌劇場とシュターツカペレ・ドレスデンの関係と似ています。

 

国立歌劇場カーテンコール

 

執筆:上月光



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