第70回ヨーロッパ音楽都市巡り ベルリン1(歴史、壁)
ふと気が付けば、イタリア編が1年以上に渡ってしまいました。そろそろ別の国に移ろうと思いますが、まずはヨーロッパ音楽の中心地ドイツに行きましょう。イタリア同様、ドイツもかなり小さな町でも自前のオーケストラや合唱団を持つオペラハウスがあり、コンサートホールも多く、音楽都市と呼べる魅力的な街がたくさんあります。まずは首都ベルリンから。
ドイツもイタリア同様、多くの独立国に分かれ、近隣国との闘いに明け暮れていました。
ベルリンの名前が歴史に登場するのは13世紀ですが、神聖ローマ帝国の選帝侯の1人ブランデンブルク辺境伯が、1448年にブランデンブルクからベルリンに宮殿を移します。

ベルリンのシンボル ブランデンブルク門

ブランデンブルク門の4頭馬車と女神ヴィクトリア
それから今日に至るまで、ベルリンは国は変わっても、ずっと首都であり続けました。1618年からの30年戦争を経て、1701年に初代プロイセン王フリードリヒ1世が戴冠し、王国の首都として大都市へなっていきます。プロイセン王国は、近隣諸国と連合し、1871年にはドイツ帝国となりますが、第1次世界大戦に敗れて、1919年にヴァイマール共和国となります。1933年にヒトラーの台頭によってナチスが政権を握り、ヴァイマール共和国は滅びます。そして、第2次世界大戦が始まりますが、敗戦によってベルリンの街は瓦礫の山と化してしまい、さらに連合国側によって4つに分割されてしまいます。

検問所のあったチェックポイントチャーリー
ソ連が占拠した東ベルリンは、東ドイツ(ドイツ民主主義共和国)となり、アメリカ、イギリス、フランスに占拠された西ベルリンは、西ドイツ(ドイツ連邦共和国)となります。西ベルリンは東ベルリンを含めた東ドイツに周囲を囲まれ、1961年にはベルリンの壁の建設が始まってしまいます。

壁に描かれたイーストサイドギャラリー

これもイーストサイドギャラリー
その後ベルリンは、アメリカとソ連による東西冷戦の象徴のような街となってしまいましたが、1989年11月9日、遂に壁は崩壊し、翌年再びドイツは統一され、ドイツ連邦共和国となりました。西ドイツは首都をボンに置いていましたが、1991年に再びベルリンが、東西統一ドイツの首都になったのです。
現在ドイツは、16の連邦州によって構成されていますが、ベルリン州は、周囲をブランデンブルク州に囲まれています。ブランデンブルクの州都はポツダム宣言で有名なポツダムですが、ベルリンの中心と27㎞しか離れていません。ポツダムは改めて別の回でご案内します。
執筆:上月光
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