第55回「パレルモ」その1 シチリア島首都パレルモ 多様な文化が交錯する街

第55回「パレルモ」その1 シチリア島首都パレルモ 多様な文化が交錯する街

2021年05月24日(月)9:30 AM

第55回 ヨーロッパ音楽都市巡り 「パレルモ」 その1
 シチリア島首都パレルモ 多様な文化が交錯する街


 地中海最大の島シチリア島の首都で、最大の街パレルモ。紀元前にフェニキア人が入植したと言われています。気候は温暖な地中海性気候で、冬でも気温が10度を切ることは滅多にありません。

 

 パレルモの歴史は非常に複雑です。紀元前にフェニキア人が入植したあと、ギリシアと北アフリカのカルタゴが奪い合い、紀元前4世紀にはカルタゴがほぼシチリア島全土を支配しました。その後紀元前3世紀になるとローマ帝国が攻め入り、カルタゴを駆逐しました。

 

その後1,000年以上ローマ帝国支配が続きますが、9世紀になると北アフリカからイスラム勢力が再び攻め入り、831年にパレルモは陥落します。その後イスラム王朝の首都がパレルモに移され、イスラム文化の中心地となりました。11世紀になると南イタリアからノルマン人が征服を開始し、1060年パレルモはノルマン王国となります。その後、統治者は神聖ローマ帝国となり、イスラム文化とキリスト教が混在する独特の文化を形成していきます。13世紀になるとフランスのシャルル家に奪われますが、その時の「シチリアの晩鐘」事件によってシャルル家はナポリで逃げ、パレルモの統治者はスペインのアラゴン家となります。18世紀にオーストリア帝国、その後スペインのブルボン家が支配者となります。18世紀末にはナポレオンが攻め入りますが、ウィーン会議によって、ナポリとシチリアは統合し、両シチリア王国となります。そして1861年イタリア統一運動によって、イタリア王国の一員となるのです。

 

 第2次世界大戦の爆撃で街はかなり荒廃しましたが、多くは修復されました。街のシンボルはノルマンニ宮殿(英語でノルマン宮殿)です。9世紀に入ってきたイスラム勢力によって建築が始まり、12世紀には初代シチリア王のノルマン朝のルッジェーロ2世さらに後継者たちによって拡張されました。特に有名なのが12世紀にアラブ、ノルマン、ビザンティンら多様な様式によって造られたパラティーナ礼拝堂で、圧倒的に美しいモザイクは息を吞むほどです。

 

ノルマンニ宮殿のパラティーナ礼拝堂

 

 それから街の大聖堂はカテドラーレです。4世紀にローマ帝国によって建てられましたが、その後。イスラムやノルマン等、いろいろな民族によって改築され、今の形となり、世界遺産になっています。

 

カテドラーレ外観

カテドラーレの回廊

 

 もう1つぜひ触れたいのがパレルモから7㎞の位置にあるモンレアーレです。ここにあるモンレアーレ大聖堂は、カテドラーレではなくドゥオーモで、12世紀にノルマン様式によって建てられましたが、ここも世界遺産になっています。特に有名なものがビザンティン様式によるガラスモザイクで、半日かけてもパレルモから行く価値が十分にあります。

 

モンレアーレ大聖堂

モンレアーレ大聖堂内モザイク

 

執筆:上月光

 



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