第43回「カターニア」 ベッリーニの街

第43回「カターニア」 ベッリーニの街

2021年02月22日(月)9:30 AM

第43回 ヨーロッパ音楽都市巡り 「カターニア」
ベッリーニの街

 

 シチリア島第2の都市カターニア。ヴィンチェンツォ・ベッリーニ(1801-1835)の生まれ故郷です。ペーザロのロッシーニ(1792-1868)、ベルガモのドニゼッティ(1797-1848)とくれば、カターニアのベッリーニに行かない訳にはいきません。この3人がベルカントオペラのビッグ3とも呼ぶべき作曲家です。

 

 カターニアは、紀元前から栄えた町ですが、エトナ山という活火山を背後に控え、大噴火による溶岩や大地震によって、何度も壊滅的な打撃を被りながら、その都度復興を遂げできました。エトナ山はここ数年でも何度も爆発を続けています。また、第2次世界大戦でも連合軍から大爆撃を受けたため、現在の街並みはほとんどが第2次世界大戦後のものです。

 

カターニアの港からエトナ山を望みます

街のシンボルドゥオーモ

 

 さて、ベッリーニですが、イタリア・オペラ史上に燦然と輝く天才作曲家です。彼は1801年にカターニアの音楽一家の家に生まれました。ベルカント・オペラの最高傑作「ノルマ」を始め、「夢遊病の女」、「カプレーティとモンテッキ」、「清教徒」などの傑作オペラを残し、34歳の若さで死んでしまいました。音楽の最大の特徴は、息の長い美しい旋律にあります。イタリア語と一体となった甘く美しく哀愁を帯びた数多くの旋律を作りました。「カターニアの白鳥」とも言われています。ショパンやワグナー、ボイト、ベルリオーズら同時代から少しだけ後世の大作曲家たちからも賞賛を浴び、ピアノの詩人ショパンは自分の遺体をベッリーニの傍らに葬って欲しいとまで言いました。

 

日本ではクラシック・ファン以外にはあまり馴染みのない名前かも知れませんが、イタリア人で彼を知らない者はいないほど有名です。ユーロ通貨導入前のイタリア・リラの時代、5千リラ紙幣には彼の繊細でハンサムな顔が載っていました。

 

 このカターニアにあるオペラハウスが、テアトロ・マッシモ・ベッリーニ、直訳するとベッリーニ大劇場です。歴史は比較的新しく、建設自体は1812年から始まりましたが、アルジェリアの海賊の侵略などによって完成が遅れました。そして、1890年、遂にベッリーニの「ノルマ」によって開場したのです。今でもベッリーニの全作品、それから同時代のベルカント・オペラの作曲家たちの作品が重要なレパートリーを占めています。

 

ベッリーニ大劇場正面入り口


 劇場は大変美しい馬蹄形で、音響の良さ、内装の美しさでは、ヴェネツィアのフェニーチェ劇場、ナポリのサン・カルロ劇場と並び称される劇場です。入口にはバロック様式のファザードがあり、内部はロココ調の赤、白、金がベースとなり、ホワイエも客席も美しいです。

 

ステージ

パルコ(ボックス席)

天井画

 

 最後にもう1つ。19世紀中ごろにミラノやNY等で大活躍したテノールのジュゼッペ・ディ・ステーファノ(1921-2008)もカターニア近郊の生まれです。マリア・カラスと公私ともに親しかったことでも知られています。

 

執筆:上月光



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