第41回 「ペーザロ」 ロッシーニの街
第41回 ヨーロッパ音楽都市巡り 「ペーザロ」
ロッシーニの街
ジョアキーノ・ロッシーニ(1792-1868)は、イタリア半島東海岸中部のマルケ州のペーザロに生まれました。アドリア海に面した美しいこの町は夏は海水浴で賑わいます。
ロッシーニは、モーツァルトが死んだ翌年(正確には3か月弱後)に生まれましたが、明るく軽やかで流麗な音楽は、モーツァルトの生まれ変わりと言っても良いでしょう。
実際にロッシーニはボローニャ音楽院で学びましたが、ボローニャ編でも申し上げた通り14歳のモーツァルト少年も対位法やイタリア式の音楽を学んだのがボローニャでした。
10代の頃から才能を発揮してオペラを作曲しはじめましたが、21歳の1813年には「タンクレディ」「アルジェのイタリア女」といった代表作を書くほどぼ早熟の天才でした。この年はヴェルディが生まれた年です。そして、24歳の1816年にオペラ史上に残るオペラ・ブッファの傑作「セヴィリアの理髪師」を書き、ヨーロッパ中にその名声が広がりました。
1829年、37歳の時に大作のグランド・オペラ「ギヨーム・テル」(英文名:ウィリアム・テル)を作曲し、オペラ作曲家を引退して、優雅な年金生活に入って、死ぬまでの30年間パリとボローニャで暮らしました。美食家としても有名で、フランス料理でロッシーニ風と言われるフォアグラやトリュフを使った料理も数多く残っています。
ロッシーニの生存中は、大作曲家の名前を欲しいままにしていましたが、ヴェルディやワーグナーが出てくるとロッシーニのオペラは次第に忘れられ、19世紀後半から20世紀後半までの100年は「セヴィリアの理髪師」だけの作曲家と言われる時代が長く続きました。
しかし没後100周年のころから、ロッシーニの故郷ペーザロのロッシーニ財団を中心に見直されはじめました。1980年からは毎夏、ペーザロでロッシーニ・オペラ・フェスティヴァルが開催されるようになり、世界中のロッシーニ・ファンたちがペーザロ詣でをするようになりました。ロッシーニ・オペラ・フェスティヴァルは、単にロッシーニのオペラを上演するだけでなく、原典版を深く研究して、毎年校訂版のクリティカル・エディションを発表する場ともなっています。

ロッシーニ・オペラ・フェスティヴァルの会場の1つテアトロ・ロッシーニ

もう1つの会場パラ・フェスティヴァル

パラ・フェスティヴァルのカーテンコール

ロッシーニの墓はフィレンツェのサンタ・クローチェ教会にあります。
執筆:上月光
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