第40回 プッチーニの巡礼 第3回「トッレ・デル・ラーゴ」
第40回 ヨーロッパ音楽都市巡り
プッチーニの巡礼 第3回 「トッレ・デル・ラーゴ」
プッチーニ(1858-1924)が、1891年に別荘を建てたのがトッレ・デル・ラーゴとは、直訳で湖の塔という意味で、ルッカの郊外で海辺のリゾート地ヴィアレッジョにあるマッサチウッコリ湖畔にある街です。鳥の狩猟やモーターボートの運転が大好きだったプッチーニには格好の場所で、晩年までこの地に住み続けました。

プッチーニ博物館の前に立つプッチーニ像 後ろがマッサチウッコリ湖

ヴィアレッジョ市内に残るプッチーニ晩年の家
この地に移ってからのプッチーニはまさに絶好調となりました。第3作の「マノン・レスコー」(1893年)で大成功を収めたのち、「ラ・ボエーム」(1895年)、「トスカ」(1900年)、「蝶々夫人」(1904年)と立て続けに傑作を発表し、ヴェルディ亡き後(1901年没)、イタリア・オペラ最高の作曲家と言われました。その後も「西部の娘」(1910年)、「つばめ(ラ・ロンディネ)」(1917年)、三部作「外套」「修道女アンジェリカ」「ジャンニ・スキッキ」(1918年)を書きましたが、喉頭がんのため、最後の作品「トゥーランドット」は未完のまま1924年に亡くなってしまったのです。
トッレ・デル・ラーゴに住み続けた家は、プッチーニ博物館となり、その中にあるの礼拝堂に今も眠っています。

プッチーニ博物館 私はここでプッチーニのお孫さんシモネッタさんに案内してもらったことがあります
トッレ・デル・ラーゴでは、1930年にプッチーニ音楽祭が開かれ、長い中断がありましたが、1966年には湖畔に常設の野外劇場が建てられました。2006年には3,200席収容の新野外劇場が建てられました。ここで毎年7月から8月にかけてプッチーニのオペラが4作品ほどが繰り返し上演されます。

新しい野外劇場舞台
この音楽祭では、基本的にはプッチーニのオペラしか上演されませんが、数少ない例外として、三枝成彰作曲、島田雅彦台本の「Jr.バタフライ」が2006年と2014年の2回正式な音楽祭のプログラムとして上演されました。それも2006年はオリジナルの日本語で、2014年はイタリア語で。この作品は、蝶々夫人へのオマージュから作られた作品で、アメリカへ行った蝶々夫人の忘れ形見の男の子(JB)が、37年後に太平洋戦争で再び日本に戻って来て、日本の女性ナオミと結婚しますが、ナオミが長崎で被爆してしまうという悲劇です。

Jr.バタフライ2006年のカーテンコール風景
« モーツァルト追悼記念合唱団:オンライン練習会 1月29日 | 2月スケジュール更新致しました-モーツァルト追悼記念合唱団オンライン練習会 »