第38回ヨーロッパ音楽都市巡り 「ルッカ」その1 プッチーニ巡礼

第38回ヨーロッパ音楽都市巡り 「ルッカ」その1 プッチーニ巡礼

2021年01月18日(月)10:00 AM

第38回 ヨーロッパ音楽都市巡り
「ルッカ」 その1 プッチーニ巡礼

 

 ヴェルディ巡礼のあとは、プッチーニを巡礼しましょう。
イタリア・オペラの2大作曲家といえば、まずジュゼッペ・ヴェルディ(1813-1901)とジャコモ・プッチーニ(1858-1924)が挙げられます。世界中のオペラハウスでこの2人のオペラが上演されない日はないと言えるでしょう。

 

プッチーニの銅像

 

年齢は45歳違いますので、同時代の人ではありません。プッチーニはイタリア中部トスカーナ州のルッカに生まれましたが、プッチーニ家はルッカで代々宗教音楽家の家系でした。そして、ルッカの教会オルガニストとなりますが、1876年ピサのオペラハウスで上演されたヴェルディの「アイーダ」をルッカから約20㎞の道のりを徒歩で見に行き、感動し、オペラ作曲家になる決心をしました。時に17歳でした。その後、地元ルッカのパティーニ音楽院で4声のミサ曲(グローリアが長いのでグローリア・ミサと呼ばれていました)を卒業作品として作曲、若きプッチーニの情熱がほとばしる作品です。

 

右奥に見えるのが生家で、ここは現在プッチーニ博物館となっております

博物館修復時の生家

ルッカのオペラハウス、ジーリョ劇場

 

その後、オペラ作曲家を目指したプッチーニは、ミラノ音楽院を1位の成績で合格し、バッツィーニとポンキエッリに師事しました。ヴェルディの稿で触れましたがヴェルディは、ミラノ音楽院の受験に失敗しました。

 

1883年ソンゾーニョ社の1幕オペラ作曲コンクールに、処女作の「妖精ヴィッリ」を応募しましたが、入選することは出来ませんでした。しかし、ライヴァルである音楽出版社リコルディのジュリオ・リコルディに認められ、ジュリオから委嘱されて第2作の「エドガール」を書きます。そして、1889年にスカラ座で初演されますが、台本が悪かったこともあって、大失敗に終ってしまいます。

 

しかし、リコルディという大きな後ろ盾が出来たことによって余裕の出来たプッチーニは、1891年実家のあるルッカ郊外のリゾート地ヴィアレッジョにあるトッレ・デル・ラーゴに別荘を購入し、終生ここに住むことになります。

 

そして1893年、第3作の「マノン・レスコー」が大成功を収めるのです。

 

執筆:上月光



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