第33回 ヴェルディ巡礼 その1「レ・ロンコレ」

第33回 ヴェルディ巡礼 その1「レ・ロンコレ」

2020年12月14日(月)9:30 AM

第33回 ヨーロッパ音楽都市巡り
ヴェルディ巡礼 その1「レ・ロンコレ」

 

今週からは、ジュゼッペ・ヴェルディ(1813-1901)の巡礼をしていきましょう。ヴェルディは言うまでもなくイタリアオペラ最大の巨人で、世界中のオペラハウスで彼のオペラが上演されない日はないほどの飛びぬけた存在です。
彼が生まれたのは、現在のイタリア中部、エミリア=ロマーニャ州パルマ県のブッセート町の近くのレ・ロンコレ村というところですが、1813年10月10日当時は、パルマ公国がナポレオンのフランス帝国の支配下にありました。彼の家は旅籠屋や飲食業を営んでいて、田舎の割には、クレモナとパルマを移動する際に使われる宿場町のような役割を果たしていました。

 

ヴェルディ関連地図

ヴェルディの生家

 

 ヴェルディ少年は、7歳の時、家の前にあるサン・ミケーレ教会のオルガニストのバイストロッキからオルガンの手ほどきを受け、10歳の時には教会のオルガニストを務めるまでになっていました。しかし、バイストロッキが死にヴェルディ少年の噂を聞いたブッセート町の有力者で音楽愛好家のアントニオ・バレッツィ(1787-1867)が才能を見抜き、ブッセートに下宿をさせて、学校に通わせて読み書きやラテン語、そして音楽を勉強させました。
 ヴェルディは、13年後、バレッツィの長女マルゲリータと結婚し、バレッツィは本当の父となります。マルゲリータが早逝したあとも、経済的な援助というだけではなく、一生涯を通じて尊敬と感謝を忘れず、まさに第2の父となったのです。

 

サン・ミケーレ教会

教会のパイプオルガン

 

それまでのベルカント・オペラは、ソプラノが主役で、歌手のテクニックが最重要視されていましたが、ヴェルディのオペラはバリトンが主役で骨太な人間ドラマの作品が多く、それに伴い技巧的なテクニックよりも劇的で力強いものへと変わって行きました。そのことは、バレッツィの影響が大きいと言われ、特に「椿姫」の父親役ジェルモンは、バレッツィをモデルに書かれたと言われています。

 

 いずれにしても、ジョアキーノ・ロッシーニ(1792-1868)にしてもジャコモ・プッチーニ(1858-1924)にしても優秀な音楽一家に生まれ、なるべくして超一流の作曲家になっていきましたが、ヴェルディは何もないところから唯一無二の存在へなっていったのは当時としてはとても珍しいことでした。

 

執筆:上月光



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