第25回ボローニャその2 「アカデミア・フィラルモニカ、マルティーニ神父、テアトロ・コムナーレ」

第25回ボローニャその2 「アカデミア・フィラルモニカ、マルティーニ神父、テアトロ・コムナーレ」

2020年10月19日(月)9:30 AM

第25回ヨーロッパ音楽都市巡り
ボローニャ その2
「アカデミア・フィラルモニカ、マルティーニ神父、テアトロ・コムナーレ」

 

さて、今週はいよいよ音楽の話です。
ボローニャはユネスコの音楽都市にも登録されています。アカデミア・フィラルモニカ・ディ・ボローニャは、1666年創設のイタリア有数の音楽機関で、ロッシーニ、ヴェルディ、プッチーニ、レスピーギらイタリア人だけなく、ワーグナー、ブラームス、リスト、マスネ、サン=サーンスらも会員でした。

 

ここの会員で、高名な音楽理論家、作曲家のジョヴァンニ・バッティスタ・マルティーニ神父(1706-1784)は、1770年、ボローニャを訪ねた14歳のモーツァルト(1756-1791)に対位法とイタリア式の声楽の作曲技法を教えました。そしてモーツァルトは20歳以上が規定だったにもかかわらず、アカデミアの会員に選ばれたのです。その直後、ミラノへ行ったモーツァルトは、初めてのオペラ・セリア「ポントの王ミトリダーテ」を書きました。

 

他にボローニャゆかりの音楽家といえば、「セヴィリアの理髪師」などで知られるジョアキーノ・ロッシーニ(1792-1868)です。彼は8歳でボローニャに移住し、ボローニャ音楽大学で学びました。それからローマの稿でも触れましたが、「ローマ3部作」などで有名なオットリーノ・レスピーギ(1879-1936)は、ボローニャ出身でボローニャで音楽を学びました。

 

さて、ボローニャのオペラハウスは、テアトロ・コムナーレと言います。フィレンツェのオペラハウスも同名でしたが、日本語に直訳すると市民劇場ということで、テアトロ・コムナーレは、イタリア全土にあるのです。中でもボローニャのテアトロ・コムナーレは特別な存在で、イタリアの数あるオペラハウスの中でも、ミラノ・スカラ座に次ぐレヴェルを誇り、日本でも何度か来日公演を行っています。

 

テアトロ・コムナーレ


1763年作曲者グルック(1714-1787)自身の指揮によって、彼の「クレリアの勝利」がこけら落としの作品となりました。1820年からはメルカダンテ、ロッシーニ、ドニゼッティ、1843年からはヴェルディと、その当時、最も重要なイタリアの作曲家の作品が上演されてきました。

 

造りは古典的な馬蹄形で、非常に小さなプラテア(平土間)の上に4層のパルコ(ボックス席)、その上に1層のガレリア(天井桟敷)がそびえ、小さいながらも豪華な内装を誇っています。また、向かい合うワグナーとヴェルディのブロンズの浮き彫りが客席を見守っています。

 

オケピットと舞台

テアトロ・コムナーレ、ステージ

テアトロ・コムナーレ、パルコ

テアトロ・コムナーレ、ホワイエ


座席は1000席ほどしかなく、ほとんどが会員用の席ですので、チケット取得の難易度が非常に高くなっています。音楽監督は、リッカルド・シャイーの後を受けた新進気鋭のダニエーレ・ガッティでしたが、現在は空席のようです。

 

執筆:上月光



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