第23回 その2 「ナポリ楽派、サン・カルロ劇場」

第23回 その2 「ナポリ楽派、サン・カルロ劇場」

2020年10月05日(月)9:30 AM

第23回ヨーロッパ音楽都市巡り
ナポリ その2
「ナポリ楽派、サン・カルロ劇場」

 今週は、イタリアのオペラの歴史を語る上で非常に重要なナポリ楽派。ヨーロッパ最古のオペラハウス、サン・カルロ劇場についてです。

 

サンカルロ劇場正面

 

 フィレンツェやヴェネツィアの稿でも触れましたが、オペラはルネッサンス末期にフィレンツェで生まれ、バロック中期にヴェネツィアで発展し、バロック後期にはナポリへと移って行きました。ナポリで活躍もしくはナポリ音楽院で研鑽を積んだ音楽家たちをナポリ楽派と言います。まず重要なのがアレッサンドロ・スカルラッティ(1660-1725)です。彼はオペラ・セリア(正歌劇)というジャンルの確立、各楽章で急-緩-急というイタリア風序曲形式、レチタティーヴォとアリアの完全な分離、アリアにおいては、ダ・カーポ・アリアというA-B-Aという形式の確立。特に繰り返しのAでは、カデンツァやコロラトゥーラなどの華麗な装飾により多くの超絶技巧が使われ、それらをカストラートの歌手たちが歌いました。またこの当時のオペラや歌唱が、本来の意味であるベルカント・オペラでベルカント唱法といえるでしょう。


 そして、ジョヴァンニ・バッティスタ・ペルゴレージ(1710-1736)です。「誇り高き囚人」の幕間劇(インテルメッツォ)として作曲された「奥様女中」は、オペラ・ブッファの傑作で、バロックから古典派への橋渡しとなった金字塔と言われ、モーツァルトやロッシーニらに多大なる影響を与えました。「スターバト・マーテル」も新しい時代の宗教曲として、今日も演奏されます。


 ジョヴァンニ・パイジェッロ(1740-1816)は、セミセリアという半分シリアスな様式のオペラを確立し、ロッシーニやドニゼッティに引き継がれました。
 ドメニコ・チマローザ(1749-1801)は、サリエリの後任として、ウィーンの宮廷楽長も務めましたが、「秘密の結婚」はオペラ・ブッファの傑作として今も上演されています。

 

チマローザの死んだ家(ヴェネツィア)

 

 サン・カルロ劇場は、1737年ブルボン王朝のカルロ3世によって、市内の中心、王宮と隣り合って建てられました。

 

王宮広場からサンカルロ劇場

創設当時の王立のプレート

 

入口には前述のナポリ楽派のパイジェッロやチマローザなどの像と一緒に、ヴェルディやナポリ出身の偉大なテノール、エンリコ・カルーソーの胸像が立っています。初演された作品多く、ナポリ楽派の作曲家たちの作品の他、ロッシーニの「エジプトのモーゼ」「湖上の美人」、ドニゼッティの「ランメルモールのルチア」、ヴェルディの「アルツィラ」「ルイザ・ミラー」などが挙げられます。ヴェルディの「仮面舞踏会」もサン・カルロ劇場のために書かれたオペラですが、国王の暗殺がテーマという内容だったため、検閲当局から許可がでなかったため、舞台をスウェーデンからアメリカに替え「グスタフ3世」として1859年にローマのアポロ劇場で初演されました。

 

執筆:上月光



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