第21回 ヴェネツィア その3 「オペラハウス フェニーチェ劇場、マリブラン劇場」
第21回 ヨーロッパ音楽都市巡り
ヴェネツィア その3
「オペラハウス フェニーチェ劇場、マリブラン劇場」
フィレンツェで生まれたオペラは、その後ヴェネツィアに移りました。17世紀のヴェネツィアは、ヴェネツィア楽派の隆盛によって、16もの歌劇場が競い合ってオペラの上演を行いましたが、特にモンテヴェルディ(1567-1643)、ヴィヴァルディ(1678-1741)、ガルッピ(1706-1785)、パイジェッロ(1740-1816)らが活躍しました。
ヴェネツィア最大のオペラハウス、フェニーチェ劇場は、1792年パイジェッロの「アグリジェントの競技会」で開場しましたが、1836年暖房器具によって全焼してしまいました。

フェニーチェ劇場入口
しかし、わずか1年で再建され、イタリア語で不死鳥の意味のフェニーチェの名前がつけられました。英語のフェニックスです。そして1996年には電気工事業者が工事遅れの補償金のために放火するという前代未聞の事件が起きましたが、世界中に演奏旅行を行い、世界中から寄付が集められ、再び不死鳥のように蘇りました。
また、数々の名作オペラを初演したことでも知られています。ヴェルディ(1813-1901)中期の傑作「リゴレット」「椿姫」と「シモン・ボッカネグラ」。「リゴレット」の初演は1851年ですが、かの有名なテノールのアリア「女心の歌」は、初演の翌日にはゴンドラ漕ぎたちが口ずさみ、あっという間に広まったと言われています。ロッシーニ(1792-1868)、ベッリーニ(1801-1835)、ドニゼッティ(1797-1848)たちも多くの作品を初演しました。
現代でもイタリア有数のレヴェルを誇り、びっくりするほど小さな入口ですが、中は優雅で美しいオペラハウスとして有名です。また、楽屋口は運河に面しているためにゴンドラやモーターボートで機材を運ぶという世界で唯一の劇場です。

フェニーチェ劇場ホワイエ

フェニーチェ劇場客席

フェニーチェ劇場リハーサル室

フェニーチェ劇場楽屋口

フェニーチェ劇場のボート
もう1つ19世紀の伝説のソプラノ歌手、マリア・マリブラン(1808-1836)にちなんで名前がつけられたマリブラン劇場を紹介しましょう。1678年開場のサン・ジョヴァンニ・グリゾストモ劇場を前身とする伝統を誇り、当時はヴェネツィアでもっとも重要な劇場でした。

マリブラン劇場
1835年、若くして世界中の賞賛を浴びていたスペイン人のプリマ・ドンナ、マリア・マリブランがベッリーニの”夢遊病の女”をこの劇場に歌った際、空前の大喝采を浴びました。彼女はその報酬をこの劇場に寄付し、それによってまもなく劇場の名前がマリブラン劇場と改称されました。1996年1月のフェニーチェ劇場が大火災によって、フェニーチェ劇場の公演は、パラ・フェニーチェ劇場という名前で仮の公演を続けてきましたが、実際はトロンケット島という埋立地に巨大なテントを張っただけのものです。しかし、サーカスのような巨大なテント小屋での公演は、音響などを望むべくもなく、遅々として工事の進まないフェニーチェ劇場に替わって、このマリブラン劇場を改修、2001年再開場したのです。

マリブラン劇場ポスター
900席ほどの天井の高い小さな馬蹄形のとてもかわいい劇場です。座席は淡いピンク色で美しく、舞台の上方には、マリア・マリブランの大きな肖像画が観客席を見守っています。
このマリブラン劇場は、リアルト橋のすぐそばにあります。リアルト橋から暗い路地裏に入っていき、劇場の標識などもありませんので、いかにも地元の人達のための劇場、というちょっと寂しい感じがとてもいい雰囲気の劇場です。
« 第20回 ヴェネツィア その2 「ヴェネツィア楽派 ヴィラールト、モンテヴェルディ、ヴィヴァルディ、戯曲やオペラ」 | 第22回 ナポリ その1 「ナポリの歴史、名所、近郊の名所」 »