第20回 ヴェネツィア その2 「ヴェネツィア楽派 ヴィラールト、モンテヴェルディ、ヴィヴァルディ、戯曲やオペラ」

第20回 ヴェネツィア その2 「ヴェネツィア楽派 ヴィラールト、モンテヴェルディ、ヴィヴァルディ、戯曲やオペラ」

2020年09月14日(月)10:00 AM

第20回 ヨーロッパ音楽都市巡り
ヴェネツィア その2
「ヴェネツィア楽派 ヴィラールト、モンテヴェルディ、ヴィヴァルディ、戯曲やオペラ」

 

 ヴェネツィア楽派は、ルネッサンスの1527年にフランドル楽派のアドリアン・ヴィラールト(1490-1562)がフェッラーラからヴェネツィアに移住して、サン・マルコ寺院の音楽監督に就任したことによって始まりました。ヴェネツィア楽派の特徴であるコーリ・スペッツィアーティ(分割された複合唱)は、ヴィラールトが、サン・マルコ寺院の本祭壇の両側に2つの聖歌隊席と2台のオルガンが交互もしくは同時に演奏をすることによって始まったのです。それがサン・マルコ寺院の残響を最大限に活かした音楽だったのです。また、ヴィラールトを慕って数多くの優秀な音楽家がヴェネツィアを訪れ、ヴェネツィア楽派が栄えました。

 

サン・マルコ広場と鐘楼とサン・マルコ寺院

サン・マルコ広場と鐘楼とサン・マルコ寺院

 

さらに1613年にクラウディオ・モンテヴェルディ(1567-1643)がサン・マルコ寺院の音楽監督に就任し、ヴェネツィア楽派は最盛期を迎えました。フィレンツェの稿でも触れましたが、モンテヴェルディはオペラ創世記最大の傑作「オルフェオ」を作曲し、その後も傑作オペラの次々に書いて、時代はルネッサンス後期からからバロック初期へと移行していったのです。モンテヴェルディは、ヴェネツィア市内のサンタ・マリア・グロリオーザ・デイ・フラーリ聖堂に今も眠っています。

 

モンテヴェルディの眠るサンタ・マリア・グロリオーザ・デイ・フラーリ教会

モンテヴェルディの眠るサンタ・マリア・グロリオーザ・デイ・フラーリ教会

 

 ヴェネツィア生まれの音楽家というとアントニオ・ヴィヴァルディ(1678-1741)でしょうか。協奏曲の作曲家として有名なヴィヴァルディですが、彼自身優秀なヴァイオリニストだったので、多くのヴァイオリン協奏曲を残しました。その中でも最大の傑作、春夏秋冬の4曲からなる「四季」は、世界中でもっとも有名な協奏曲といえるでしょう。
 

 また、前項でも少し触れましたが、ワーグナーやゲーテ、スタンダール等、数多くの芸術家がヴェネツィアを愛しました。ヴェネツィアを舞台とした作品で特に有名なものは、シェークスピアの戯曲「ヴェニスの商人」「オセロ」、トーマス・マンの小説「ヴェニスに死す」あたりでしょうか。数多くのオペラや映画にもなりました。「オセロ」はヴェルディ晩年の傑作オペラ「オテロ」になりました。ヴェルディの「2人のフォスカリ」もヴェネツィアが舞台です。ヨハン・シュトラウスのオペレッタ「ヴェネツィアの一夜」もヴェネツィアのお話しです。

 

ワーグナーの住んだ家

ワーグナーの住んだ家

モーツァルトの記念プレート

モーツァルトの記念プレート

 

 なお、ヴェネツィアは言うまでもなくイタリア語で、アクセントはネにつけますので、正確な発音はヴェネーツィアとなります。ヴェニスは英語です。シェークスピアはイギリス人なので、原題は英語で「The Merchant of Venice」で「ヴェニスの商人」となるのです。一方、「ヴェニスに死す」のトーマス・マンはドイツ人なので、原題はドイツ語で「Der Tod Venedig」ですが、日本では「ヴェネディッヒに死す」とはあまり言わないですね。しかし、ワーグナーはヴェネディッヒと言っていたかも知れません(笑)。

 

執筆:上月光



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