第14回 ミラノその2 「ミラノ・スカラ座前編 初演の作品、由来、サリエリの見出されたエウローパ」
ヨーロッパ音楽都市巡り
第14回 ミラノ その2
「ミラノ・スカラ座前編 初演の作品、由来、サリエリの見出されたエウローパ」
1778年の開場以来の栄光の歴史を誇りますが、初演された名作の数々を思い起こしてみれば簡単でしょう。主なものだけでも、ロッシーニの”イタリアのトルコ人”、”泥棒かささぎ”、ベッリーニの”ノルマ”、ヴェルディの”ナブッコ”、”オテロ”、”ファルスタッフ”、ボイトの”メフィストフェレ”、ポンキエッリの”ジョコンダ”、ジョルダーノの”アンドレア・シェニエ”、プッチーニの”蝶々夫人”、”トゥーランドット”……など、まさしくイタリア・オペラの歴史そのものです。

改修後のミラノスカラ座
スカラいう名前は、ある女性の名前に由来しています。ミラノの貴族ヴィスコンティ一族に嫁いだ、ヴェローナの貴族スカラ家のベアトリーチェ・デッラ・スカーラ。最初に彼女の名前がつけられたサンタ・マリア・デッラ・スカラ教会の跡地に建てられた劇場が、今のスカラ座というわけです。イタリア語でスカラ(Scala)というのは、はしごや階段という意味で、スカラ家の紋章もはしごの形をデザインしたものですが、今でもヴェローナ市の至るところで見ることができます。
こけら落としは1778年8月3日。ウィーンのイタリア人宮廷作曲家のアントニオ・サリエリの「見出されたエウローパ」でした。ウィーン編でも書きましたが、モーツァルトとの因縁で有名なあのサリエリです。この作品は彼が28歳の時の作品ですが、現代では完全に忘れ去られている作品です。モーツァルトがオペラの傑作群を生み出す数年前に当たりますが、きっと彼も影響を受けたことでしょう。

見出されたエウローパ、カーテンコール-スタッフも舞台に上がりました。

見出されたエウローパのポスター
スカラ座は2001年から2004年まで3年間の修復工事ののち、2004年12月7日に200年以上ぶりの再演で、再開場しました。その3年間は郊外に作った近代的なアルチンボルディ劇場で公演が行われていました。

修復工事中の3年間使ったアルチンボルディ劇場

修復工事直前のオテロのポスター-下に完売のシールが。
さて、せっかくなので、この「見出されたエウローパ」のことにも少し触れておきましょう。私もその時にこの作品を初めて見ましたが、旋律が美しく、重唱や合唱も効果的で、オーケストレーションも巧み。モーツァルトの傑作を思い出させる部分もかなりありました。しかし、チェンバロ伴奏によるレチタティーヴォがやや冗長で、説明が長すぎ、音楽と台本の融合という点ではやや不満が残りました。ただきっとそれが当時のスタイルで、いろいろ壊したのがモーツァルトだったのでしょう。
このオペラの内容についてもご案内します。まず主役の4人がすべて女声で、しかもコロラトゥーラ・ソプラノ2人とズボン役のソプラノとメッツォ・ソプラノという非常に珍しい組み合わせなのです。それに男声1人を含めた5人が主な登場人物です。今、考えても豪華なキャスティングでした。まずタイトルロールのエウローパ役がディアナ・ダムラウ。当時はまだ超新星という感じでしたが、信じられないような超高音まで完璧だったのです。それも悲鳴のように搾り出すような声ではなく、オクターブ下の音と比べても何ら遜色のない自然な声。アジリタのテクニックも素晴らしく、彼女のアリアの後は拍手が鳴り止まなかったことを憶えています。もう1人のコロラトゥーラ・ソプラノ、セメレ役のデジレー・ランカトーレも透明で美しい声でした。アステリオ役のゲニア・キューマイヤーとイゼオ役のダニエラ・バルチェッローナも素晴らしい出来でした。最後になってしまいましたが、唯一の男声の役、エジスト役は、テノールのジュゼッペ・サッバティーニ。さすがの貫禄でした。
指揮者のことを忘れていました(笑)。もちろん、当時スカラ座の音楽総監督として長期政権に入っていた巨匠リッカルド・ムーティです。ただただ素晴らしく、何もいうことはありません。
Youtubeにその時の貴重な録音がありますので、ぜひお聞きください。
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