第13回 ミラノ その1 「ミラノの歴史、ドゥオーモ、ミラノ音楽院、ジュゼッペ・ヴェルディ」

第13回 ミラノ その1 「ミラノの歴史、ドゥオーモ、ミラノ音楽院、ジュゼッペ・ヴェルディ」

2020年07月20日(月)10:30 午前

ヨーロッパ音楽都市巡り
第13回 ミラノ その1

「ミラノの歴史、ドゥオーモ、ミラノ音楽院、ジュゼッペ・ヴェルディ」

 

 イタリア北部のポー川流域の肥沃な大平原の中心地、ロンバルディア州の州都で、金融、工業、商業の街として栄えています。中世からルネッサンス期にはヴィスコンティ家とスフォルツァ家がミラノ大公として芸術にも力を入れました。特にルドヴィーコ・スフォルツァ公がレオナルド・ダ・ヴィンチをミラノに迎え、ダ・ヴィンチはサンタ・マリア・デッレ・グラーツィエ教会に世界的に有名な「最後の晩餐」の壁画など、数々の傑作を残しました。第2次世界大戦では連合軍の激しい爆撃を受けましたが、戦後、デザインなどで急激な復興を遂げました。2015年には食をテーマとした万博が開催されました。

 

ダ・ヴィンチの最後の晩餐のあるサンタ・マリア・デッレ・グラーツィエ教会

 

 まずミラノのシンボルと言えば、ドゥオーモです。世界最大のミラノ大司教区の大聖堂として、ゴシック建築の粋を集めたこの教会の中は、巨大な円柱が立ち並び、全面を覆っているステンドグラスも壮観です。ドゥオーモの横には100年以上前に造られたとは信じられないガレリアと呼ばれる壮大なアーケードがそびえます。ガレリアを抜ければ、ダ・ヴィンチの銅像があるダ・ヴィンチ広場があり、そのダ・ヴィンチ像がじっと見つめるのが、スカラ座です。オペラの殿堂スカラ座については、後編(ミラノその2と3)で詳しくご紹介します。

 

ミラノのシンボル、ドゥオーモ

ガレリアドゥオーモ側の入口

スカラ座広場のダ・ヴィンチ像

 

 不思議とミラノ出身の大作曲家はいませんが、20世紀になってからは、優れた音楽家を排出し続けてきました。作曲家のニーノ・ロータ(1911-1979)、ピアニストのマウリツィオ・ポリーニ(1942-)、バス歌手のチェーザレ・シエピ(1923-2010)、指揮者のクラウディオ・アッバード(1933-2014)、現スカラ座音楽総監督のリッカルド・シャイー(1953-)、ダニエレ・ガッティ(1961-)等です。彼らの多くが1807年創立のイタリア屈指の国立の音楽大学、ミラノ音楽院、別名ヴェルディ音楽院の卒業生です。当院は、2つの立派なコンサートホールも持っていますが、大ホールがヴェルディ・ホール、小ホールがプッチーニ・ホールです。

 

 それからミラノで忘れてはならないのが、イタリア・オペラ史上最大の巨人、ジュゼッペ・ヴェルディ(1813-1901)です。彼はパルマ近郊の片田舎ロンコーレ村の出身で、近郊のブッセート町で育ちました。18歳の時にミラノに留学し、上述のミラノ音楽院を受験しますが、年齢制限を超えていて不合格となってしまいます。その後、地元のブッセート、サンタガタそしてミラノを中心に、「ナブッコ」「リゴレット」「トロヴァトーレ」「椿姫」「アイーダ」「オテロ」等々、次々に傑作オペラを書いて行きます。


 最晩年にはミラノに音楽家のための養老院、正式名称は音楽家のための憩いの家(Casa di Riposo per Musicisti)を作り、ヴェルディはここの中庭に眠っています。そして、現在でもこの養老院は引退した音楽家と学生が住んでいるのです。

 

ヴェルディ像とヴェルディ憩いの家

中庭にあるヴェルディの墓

ヴェルディはここに眠っています。

 

 そしてヴェルディが息を引き取ったのが、スカラ座から歩いてすぐのグランドホテル・エ・ドゥ・ミラン、このホテルがヴェルディの常宿でした。

 

ヴェルディの亡くなったグランドホテル・エ・ドゥ・ミラン

この105号室がヴェルディの部屋です。

 

執筆:上月光



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