第10回 ローマ その1「ローマ楽派の音楽家たちとレスピーギ」
ヨーロッパ音楽都市巡り
第10回 ローマ その1
「ローマ楽派の音楽家たちとレスピーギ」
ようやくオーストリア編を終わり、今週からイタリアに行きましょう。まずはやはり「永遠の都ローマ」、首都のローマからです。「ローマは1日にしてならず」「すべての道はローマに通ず」など、ローマに関連する言葉は数多く残っています。紀元前のローマ共和国からローマ帝国と地中海沿岸を完全に支配し、最盛期はイギリスもローマ帝国の一部分でした。また、ローマ市内には、カトリックの総本山、ヴァチカン市国があります。

ヴァチカンの表玄関サン・ピエトロ大聖堂
音楽の歴史では、ルネッサンス後期にフランドル楽派のポリフォニー音楽から影響を受けたローマの音楽家たちをローマ楽派といいます。システィーナ礼拝堂を中心としたア・カペラの教会音楽が特徴です。代表的な作曲家はジョヴァンニ・ダ・パレストリーナ(1525?-1594)です。当時、ローマでもほとんどの音楽家はフランドル出身の人達でしたが、パレストリーナはローマ近郊パレストリーナ町生まれのイタリア人でした。
話は逸れますが、パレストリーナの本名は、ジョヴァンニ・ピエルルイージです。しかし、ローマ近郊のパレストリーナ町生まれだったので、パレストリーナと呼ばれるようになったのです。イタリア語のダ(da)は英語のfromなので、パレストリーナ町出身のジョヴァンニという意味でした。ルネッサンス最大の芸術家レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)も同じようにフィレンツェ近郊のヴィンチ村出身のレオナルドなのです。

レオナルドの生まれたヴィンチ村
もう1人ローマ楽派の重要なイタリア人にグレゴーリオ・アッレグリ(1582-1652)がいます。彼は作曲家としてだけなく、システィーナ礼拝堂聖歌隊のコントラルト歌手として活躍しました。特に有名なのは、「ミゼレーレ」の作曲者としてです。この曲はシスティーナ礼拝堂で行われる特別な朝の礼拝で歌われるア・カペラの曲で、1年に3日間しか演奏されず、門外不出の秘曲として知られていました。1770年4月11日、父と一緒にイタリア旅行中のモーツァルトは、ちょうどローマに滞在していました。この曲は4声と5声の9声部からなる二重合唱ですが、14歳のモーツァルトは1度聞いただけで、宿に帰った後、すべて書き写してしまい、さらに翌々日もう1度聞いて細かいところを直して完成してしまったというのです。この話には後日談があって、その話を聞いた時のローマ教皇クレメンス14世は、破門にするどころかモーツァルトの才能を誉め。黄金拍車勲章を与えたのです。
どうぞ、その秘曲をお聞き下さい。
その当時のモーツァルトの肖像画やシスティーナ礼拝堂の絵も見ることができます。
Allegri Miserere in the Sistine Chapel
最後にローマ出身ではありませんが、ゆかりの作曲家オットリーノ・レスピーギ(1879-1936)を。レスピーギはボローニャで生まれ、サンクトペテルブルクとベルリンで研鑽を積み、ボローニャへ戻りますが、定職に就けませんでした。1913年にローマのサンタ・チェチーリア国立音楽院の作曲家の教授に任命され、のちには院長になり、死ぬまでローマに定住しました。彼の代表作は、「ローマの噴水」「ローマの松」「ローマの祭り」からなる交響詩「ローマ3部作」です。レスピーギと深い親交のあったトスカニーニ指揮によるNBC交響楽団の「ローマの松」を

ローマの噴水第3曲トレヴィの泉

カラカラ浴場風景左奥に見えるの傘が開いたようなのがローマの松(日本名カサマツ)
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