第8回 ザルツブルク No.1「モーツァルト、カラヤン、音楽祭」
ヨーロッパ音楽都市巡り
第8回 ザルツブルク No.1
「モーツァルト、カラヤン、音楽祭」
オーストリアの都市ザルツブルクは、音楽祭とモーツァルトの街です。郊外のハルシュタットは紀元前12世紀から文化が栄え、ローマ帝国とゲルマン民族に支配された後、8世紀末には大司教区となりました。ザルツブルクは塩の城という意味のドイツ語ですが、良質の岩塩が取れ、それをドナウ支流のザルツァッハ川を使って貿易や通行税を取ることで街は栄えていったのです。
宮廷音楽家だったレオポルトの息子として1756年1月27日にヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは生まれました。息子の天才を見抜いたレオポルトは、英才音楽教育を施し、幼少時代から世界中を旅したことによって、音楽史上最大の天才作曲家は作り上げられました。
25歳のモーツァルトは、1791年に大司教とそりが合わなかったため、ザルツブルクを離れ、最後の10年間はウィーンに移住しました。旧市街のモーツァルトの生家と新市街の幼少時代の家が共にモーツァルト博物館になっている他、街中にモーツァルトがあふれています。
ザルツブルクモーツァルト生家
モーツァルトハウス(旧小ホール)
1908年4月5日、ザルツァッハ川沿いの騎士の家にヘルベルト・フォン・カラヤンは生まれました。地元のモーツァルテウム音楽院で勉強し、世界に出てからは、ベルリンフィルとウィーンフィルという世界の2大オーケストラの首席指揮者やザルツブルク音楽祭、ミラノ・スカラ座等で大活躍し、帝王と呼ばれました。ザルツブルク近隣のアニフという町に住み、死後は本人の遺言によってアニフの教会の質素な墓の中に眠っています。カラヤンの妻と娘は今でもこの家に住んでいます。
カラヤン生家銅像(ザルツブルク)
カラヤン像(アニフ)
カラヤン墓地(アニフ)
音楽祭の街ザルツブルクは、年に4つの音楽祭が開かれます。
まず世界一の量と質を誇る夏の音楽祭は、世界中のセレブが集まる社交場となります。7月下旬から8月末日まで、連日連夜世界トップレヴェルのオペラやコンサートが開かれる世界は音楽ファンによって夢の世界です。ホストオーケストラのウィーンフィルのメンバーは1ヶ月半の間、ザルツブルクに住んで、毎日のようにオケピットかステージで演奏しているのです。
次にザルツブルク・イースター音楽祭です。復活祭の期間に10日間に渡り祝祭大劇場で開かれるこの音楽祭は、1967年にカラヤンが創設しました。夏の音楽祭はウィーンフィルですが、こちらはベルリンフィルがホストオーケストラで、カラヤンの死後も、アバド、ラトルら首席指揮者が出演していました。しかし、2013年からは、クリスティアン・ティーレマン率いるドレスデン・シュターツカペレ(ゼンパーオパー)がホストオーケストラとなっています。
祝祭劇場前
3つ目はザルツブルク聖霊降臨祭音楽祭です。聖霊降臨祭(5~6月)の時期に祝祭大劇場で開かれます。こちらも1972年にカラヤンが創設しました。カラヤンの死後、中断していましたが、1998年からバロックの音楽祭として復活しました。リッカルド・ムーティらが総監督をしていましたが、現在はメッツォ・ソプラノのイタリア人スター歌手のチェチーリア・バルトリが総監督を務め、もちろん自ら歌っています。
祝祭大劇場前風景
最後は1月27日のモーツァルトの誕生日を挟んで行われる生誕週間です。1956年からこちらはモーツァルテウム財団が主催者となり、モーツァルテウム大ホールがメインのホールとなります。現在は、テノールのメキシコ人スター歌手、ローランド・ヴィラゾンが音楽監督を務めています。
モーツァルテウム大ホール
執筆:上月光