第4回 ウィーン No.4 アン・デア・ウィーン劇場

第4回 ウィーン No.4 アン・デア・ウィーン劇場

2020年05月18日(月)5:30 午後

ヨーロッパ音楽都市巡り
第4回 ウィーン No.4 アン・デア・ウィーン劇場

 

<アン・デア・ウィーン劇場>
 18世紀の音楽、演奏会いうものは、王家や貴族、一部の富裕層など特権階級のものでした。
しかし18世紀の後半になると一般の市民にも急速に音楽が広まり、一般の興行主が劇場を建て、オペラや演劇を上演するようになってきます。アン・デア・ウィーン劇場の前身、1787年に出来たフライハウス劇場は、まさにそういう劇場でした。

 

アン・デア・ウィーン劇場 正面入り口

 

1789年に支配人になったシカネーダーは、劇場支配人兼俳優兼台本作家というマルチプルな人でした。彼は、フリーメイソンの仲間で、古い友人だったモーツァルトにオペラの作曲を依頼し、モーツァルトはフライハウス内にあった小屋で作曲をしたのです。この小さな小屋はザルツブルクのモーツァルテウム大ホールの裏庭に移築され、現在も見ることができます。

 

アン・デア・ウィーン劇場 ステージ

 

アン・デア・ウィーン劇場 客席


シカネーダーは、1791年9月30日、モーツァルトが最後に完成したオペラ「魔笛」を初演させ、大成功を収めます。彼は自ら鳥刺しのパパゲーノも演じたのです。その莫大な利益を元に1801年、新しい劇場を建てて移転したのが、アン・デア・ウィーン劇場です。

 

劇場横のパパゲーノ門にある鳥刺しパパゲーノと3人の童子

 

さらにシカネーダーはベートーヴェンを招聘し、この劇場の中で作曲しました。そして、初演されたのが、交響曲第3番「英雄」、第5番「運命」、第6番「田園」、さらには生涯唯一のオペラ「フィデリオ」です。19世紀後半にはオペレッタ全盛期を迎え、この劇場でシュトラウス二世の「こうもり」、レハールの「メリー・ウィドウ」などを初演するなど、輝かしい歴史を誇ります。

 

レリーフ:べートーヴェンは1803年と1804年にここに住んだ。/オペラ「フィデリオ」、第3交響曲「英雄」、クロイツェル・ソナタをここで書いた。/「フィデリオ」やその他の作品がここで初演された。というような事が書いてあります。

 

第2次世界大戦後、空襲で焼けた国立歌劇場の代替劇場として活躍した後、ミュージカルの専用劇場となって、「キャッツ」のドイツ語上演の初演や、「エリザベート」「モーツァルト!」などドイツ語によるミュージカルの金字塔の作品を次々に初演しました。
そして、モーツァルト生誕250周年の2006年にウィーン第3のオペラハウスとなり、国立歌劇場、フォルクスオパーとは違いスタジオーネ方式(注-1)によって、バロックの作品を中心に質の高い上演を続けています。

 

アン・デア・ウィーン劇場 入口夜景

 

注-1)オペラハウスの上演方式の1つで、一定期間に1つの演目を上演します。歌手もオーケストラも合唱も集中して練習出来るので、質の高い公演が出来ます。舞台セットも換えなくて良いのもの大きな利点です、イタリアのオペラハウスほとんどがこの方式で、日本の新国立劇場もこの方式です。一方、ミュンヘン国立歌劇場、ベルリン国立歌劇場、ドイチェオパー、NYのメトロポリタン歌劇場、ロンドンのロイヤルオペラ、そしてウィーンの国立歌劇場、フォルクスオパーなどは、レパートリー方式と言う方式で、3、4演目を3、4日置きに上演するので、旅行者は毎日違う演目を楽しむことができます。

 

執筆:上月光

 



«   |   »

Facebook

▲TOPへ戻る