第2回 ウィーン No.2 ウィーンのシンボル国立歌劇場

第2回 ウィーン No.2 ウィーンのシンボル国立歌劇場

2020年05月01日(金)1:50 午後

ヨーロッパ音楽都市巡り
第2回 ウィーン No.2 ウィーンのシンボル国立歌劇場

 

<劇場>
 ウィーンには、ウィーン国立歌劇場、ウィーンフォルクスオパー、アン・デア・ウィーン劇場と3つの立派なオペラハウスがあります。

 

まずは、ウィーン国立歌劇場から。
 19世紀皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の頃、急増する人口に対応するため、城壁を取り壊し、ウィーンの大改造計画が立てられました。その中の目玉の1つが、ウィーン国立歌劇場の前身である宮廷歌劇場の建設でした。建築家はニュルとジッカルズブルクが選ばれましたが、いろいろな建築様式をミックスしたことや正面入り口が車道よりも低くなってしまったことで「沈んだ箱」と言われ、建設途中から新聞や民衆に叩かれました。ウィーンっ子たちは今も昔も超保守的なのです。
1967年ニュルは自殺し、ほどなくジッカルツブルクは心臓まひで死亡、2人は劇場の完成を見ることなく死んでしまったのです。

 

しかし、7年半の工事期間を経て、1869年5月25日モーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」によって開場しました。1897年に総監督となったグスタフ・マーラーは、若手で実力のある歌手をウィーンへ集め、数々の革新的な方針を打ち出し、伝統のないオペラハウスを一気に一流歌劇場へと育てあげました。

 

1911年ハプスブルク帝国が崩壊すると、ウィーン宮廷歌劇場は、オーストリアのウィーン国立歌劇場となり、1919年にはリヒャルト・シュトラウスが総監督に就任します。そして彼のオペラ「ナクソス島のアリアドネ」「影の無い女」が初演されました。

 

1945年3月12日、第2次世界大戦の連合軍の爆撃によって破壊されました。10年間代替えの劇場としてアン・デア・ウィーン劇場で公演を行った後、1955年11月5日総監督カール・ベームの指揮によって、ベートーヴェンの「フィデリオ」で再開しました。以降、ヘルベルト・フォン・カラヤン、ロリン・マゼルが総監督を務めましたが、その後、指揮者が音楽監督を務めるようになりました。マゼルの後は、クラウディオ・アバド、小澤征爾、フランツ・ウェルザー=メストが音楽監督を歴任し、今シーズン(2020年9月)からはフィリップ・ジョルダンが就任する予定です。

 

ホワイエ

 

 シーズンは9月1日から翌年の6月30日までで、レパートリー方式によって連日連夜違う演目が豪華なキャストによって上演されます。3日滞在すれば、3演目を見ることが出来るため、世界中のオペラファンにも喜ばれています。客席は1,709席で立ち見が567席、平土間と5層のボックス席と天井桟敷による馬蹄形。連日のようにスター歌手たちが出演することでも知られ、3大テノール全盛時は、彼らが毎日のように出演し、今もネトレプコ、カウフマンたちが定期的に歌っています。オパンバルと呼ばれる舞踏会が年に1回行われますが、オーディションに合格した上流階級の子女のデビュッタントの場となっています。

 

パリアッチカーテンコール

 

合唱団、バレエ団も非常にレヴェルが高いことで知られていますが、特筆すべきはオケピットに入っているウィーン国立歌劇場管弦楽団です。この楽団メンバーによってウィーン・フィルハーモニー管弦楽団が組織され、オペラ以外のコンサート活動を行っているのです。

 

執筆:上月光(コウヅキヒカリ)



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