第1回 ウィーン No.1 音楽の都の歴史
ヨーロッパ音楽都市巡り
第1回 ウィーン No.1 音楽の都の歴史
<歴史>
世界一の音楽の都ウィーン。
13世紀にハプスブルク家の支配下となりましたが、巧みな婚姻政策によって領土を拡げ、ヨーロッパ最大の帝国を築き、ウィーンはその首都として栄えました。
ローマ時代より西欧と東欧の中間に位置し、市内を流れるドナウ川は交通の要衝の役割を果たしていました。
ハプスブルク家は代々音楽を愛する血筋で、1625年には皇帝フェルディナント2世の誕生日を祝うためにアルプス以北で初めてオペラが上演されました。彼の孫に当たる皇帝レオポルト1世は、優れた作曲家として、数多くの作品も残しています。
時代は下って女帝マリア・テレジアは、オペラ改革で有名なグルックを宮廷楽長としてウィーンに呼びました。
グルックはマリア・テレジアの末娘マリー・アントワネットの婚姻と一緒にフランスへ行き、パリでも活躍しました。そして、マリア・テレジアの長男、皇帝ヨーゼフ2世は、イタリア人のアントニオ・サリエリを宮廷楽長に迎え、その時代にモーツァルトもザルツブルクを出て、ウィーンへ来ました。
ウィーン中央墓地:W.A.モーツァルト
さらにはウィーン近郊にはエステルハージ家のハイドンもいて、弟子入りを許されたベートーヴェンまで来たのです。そしてブルックナー、ブラームス、マーラーらへと引き継がれていきますが、ウィーン出身の作曲家は意外に少なく、シューベルト、ヨハン・シュトラウス親子などが挙げられます。
ウィーン中央墓地:ベートーヴェン
ウィーン中央墓地:ブラームス
ウィーン中央墓地:フランツ・シューベルト
ウィーン中央墓地:ヨハン・シュトラウス
その後もウィーンは音楽の世界の中心地として、シェーンブルク、ウェーベルン、ベルクら新ウィーン楽派と呼ばれる20世紀の近代音楽へと繋がっていきます。
ウィーン中央墓地:アーノルド・シェーンベルク